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掲載日:2024年2月1日
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埼玉の生産が確認されているのは、明治以降になります。
現在の草加市・川口市が主要産地で、さいたま市(岩槻)に産地化の萌芽がありました。
この地域は消費地東京に近かったこと、また綾瀬川流域が半湿田ないし湿田地帯で、水稲の栽培に適さなかったこともあり、くわいとともにレンコンの生産も盛んでした。
草加市・川口市・さいたま市(岩槻・浦和・大宮)・越谷市など、現在まで残る産地での栽培が始まりました。
全国各地に生産が広まり、関東では埼玉・東京・千葉・茨城、関西地方では大阪・京都での生産が盛んとなりました。
埼玉では特に北足立郡の作付けが多く、明治から大正にかけては、現在の草加市で最も盛んに生産されました。
埼玉県での栽培面積は、明治から大正にかけて、100~150haを中心に増減しながら推移しました。
昭和初期の大恐慌時代に、農家経営の換金作物として重要な作目ともなり、次第に生産が増加していったようです。
戦時中は食糧増産のためにくわい栽培も中止せざるを得なくなりましたが、その間も水田の一部や用水路・畦畔を利用して、くわいは保存されました。
戦後生産が回復したものの、昭和30年以降は都市化などにより作付面積は横這いとなりました。
収益性の高さから各地で注目されましたが、重労働かつ栽培に熟練を要することから、県内の産地は限られたものでした。
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