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掲載日:2024年5月27日
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埼玉県総合治水事務所
当事務所は、埼玉県・県土整備部の地域機関です。
かつて埼玉県内に、南部河川改修事務所、新河岸川総合治水事務所などの河川事務所が存在していましたが、現在は県内唯一の河川事務所となっています。(沿革)
所管する7つの河川(概要)の改修工事や草刈り等での河川の維持管理の外に、県全体の河川計画を扱う唯一の事務所として重責を担うとともに、首都圏外郭放水路と連携する倉松川水門の操作を通じて埼玉東部地域の水防の拠点としての役割を果たしています。
事務所は、大落古利根川右岸の風光明媚な場所にあります。(案内図)
(事務所付近 大落古利根川)
敷地内では、運が良ければ例年1月から4月にかけてメジロを見ることができます。
(事務所敷地内で撮影)
県の東部に位置し、流域内人口348万人(140万世帯)が居住し、流域面積900キロ平方メートルに及ぶ中川・綾瀬川流域の治水事業を実施しています。また、埼玉県庁と一体となって県全体の河川計画にあたっている事務所です。
中川・綾瀬川流域は、周囲を利根川、江戸川及び荒川に囲まれた区域で、その所管区域は、県東部の13市4町であり、県全域の四分の一を占めています。
所管する河川は、中川、倉松川、大落古利根川、古隅田川、新方川、元荒川、綾瀬川の7河川で、「河川の改修」、「流域対策」、「洪水への備え」の三つの柱からなる総合的な治水対策を推進しています。
昭和22(1947)年9月に発生したカスリーン台風は、1都5県(群馬、埼玉、栃木、茨城、千葉、東京)に跨るわが国最大の流域面積の利根川流域において、死者1,100人、家屋浸水303,160戸、家屋の倒半壊31,381戸の甚大な被害をもたらしました。
昭和22年9月16日深夜0時20分頃、埼玉県北埼玉郡東村(現加須市(旧大利根町))で利根川の堤防右岸が350メートルにわたって決壊しました。この氾濫流が利根川、江戸川、大宮台地に囲まれた埼玉県東部の中川流域を流下したのです。氾濫流は、19日深夜東京都埼玉県境の水元桜堤を破り都下へ進入し、20日には亀有で中川の右岸堤防が決壊し、中川右岸にも氾濫流が進入した。最終的に21日になって氾濫流が江戸川区新川堤防で止まりました。(被害状況写真等は国土交通省利根川上流河川事務所HPを参照ください)
埼玉県では床上浸水 17,398戸 床下浸水 5,079戸 罹災者128,628人 死者46人 不詳者1,829人 行方不明7人 という大災害をもたらしました。 (浸水エリアの概略な図は国土交通省利根川上流河川事務所HPを参照してください)
このような被害となった中川・綾瀬川流域は、中川低地の河川や自然堤防、後背湿地、旧堤防など複雑な微高地に影響され、氾濫速度や方向が変化し、時には止まり、時には逆流するなどの状況を生じさせました。さらに堤防決壊による急流なども加わりながら約440㎢の氾濫となってしまったのです。
中川・綾瀬川流域は治水の課題が多いところであるということができます。
総合治水事務所は、このような特殊な水理を生じうる「中川・綾瀬川流域」の中央にあります。
昭和56年4月に、「埼玉県中川・綾瀬川総合治水事務所」として春日部市粕壁地内に開設され、昭和58年3月18日に現在の地「春日部市緑町5丁目5番11号」に移転しました。元々は中川・綾瀬川流域の総合治水対策を推進していましたが、現在では全県の河川調査も担う「埼玉県総合治水事務所」として生まれ変わりました。
以下に河川調査を担っていた「中川水系調査事務所」から現在の「埼玉県総合治水事務所」が河川調査を担うに至った経緯を記載いたします。
(カスリーン台風〜昭和40年「新河川法」施行 小野久彦が河川調査を牽引)
昭和22年9月のカスリーン台風は、埼玉東部、すなわち中川・綾瀬川流域に甚大な被害をもたらしたことは周知のことと存じます。このカスリーン台風を契機として「中川水系調査事務所」は設けられました。この台風から中川水系調査事務所が設けられるスペクトラムのなかで、重要な人物「小野久彦(※)」氏について触れておきます。この当時東京大学工学部土木工学科の学生だった小野久彦氏は、実弟が葛飾区金町で洪水被害に見舞われたのを目の当たりにし、大学を卒業すると埼玉県河川課に勤務することとなります。 小野氏は後に中川水系の調査に精魂込めて取り組み、埼玉県の河川計画に大きな影響を与えました。
埼玉県東部の低地である中川・綾瀬川流域では特殊な水理が生じていましたので、そう言う中、この流域の河川改修策定機関として昭和26年に「中川水系調査事務所」が開設されることとなりました。昭和28年に小野氏は「中川水系調査事務所」の所長(第2代)に就任し、昭和37年までの10年間河川調査を担当しました。(埼玉県には、ほぼ同時期に「中川水系農業水利調査事務所」という農林部の事務所が別に存在していました。また、双方の事務所を一人の所長が兼務していた時期があります)。
昭和34年から「中川水系工事事務所」に名称を改め、特殊な水理状況を生じる中川・綾瀬川流域を実測調査し、氾濫状況、水害経済調査、工事経済効果調査、水質汚濁防止調査等を新たに実施しました。その成果として埼玉低地帯の地図は今日もなお学術論文等に引用されています。また、芝川や綾瀬川の河川改修工事にも当たることになりました。
昭和39年に河川法が改正され、昭和40年に改正河川法が施行されることになります。この際に、中川水系工事事務所は当時の元荒川の現況を調査してそれを平面図を作成するなど、今日の河川管理に大きく影響する資料を残しました。
このように小野氏は昭和30年代の埼玉県の河川調査を牽引し、中川・綾瀬川流域及び芝川流域の水位・流量・降雨量等の調査、地形、地質、歴史、地下水、農業水利等の調査や水文統計、流出計算、内水調査等を実し、数多くの文献、資料を残しました。また、小野氏の志を継いだ歴代職員もこれに続きました。
(総合治水対策に向けた河川事務所の新設・再編)
昭和40年代に入ると首都圏の都市化がさらに拡大し、埼玉県も治水という課題の重さが増してきます。段階的に県内土木事務所に治水課を設置するなどの対策を講じてきました。
昭和50年に「中川水系工事事務所」は「南部河川改修事務所」として発展的に改組されました。「南部河川改修事務所」はこれまでの調査業務に加えて、工作物調査、降雨解析、芝川緑地計画の作成、水文データ処理システムの検討、中川・綾瀬川流域総合治水対策の検討に着手することとなりました。
以後、埼玉県の都市化はさらに進んで治水問題が急展開し、「総合治水対策」という手法に焦点が当たるようになりました。こうして、昭和54年4月1日、西部河川改修事務所が新設となりました
昭和55年3月14日(2月の定例会)で当時の滝口賢治総務部長は次のとおり答弁しています。 「南部河川改修事務所を設けて芝川総合治水対策事業を実施してまいりましたが、54年4月1日には、新河岸川総合治水対策事業を行うため、西部河川改修事務所を発足させました。更に55年4月1日からは中川、綾瀬川総合治水対策事業を実施するために、南部河川改修事務所の内部組織を拡充いたします。」以降、昭和56年4月1日「中川・綾瀬川治水事務所」が新設され、中川・綾瀬川流域の総合治水対策に取り組むこととなりました。この際に南部河川改修事務所の工務第2課の業務が「中川・綾瀬川総合治水事務所」へ引きつがれました。
昭和59年新河岸川総合治水事務所の設置へと続きます。
(調査業務の一本化)
このように、昭和54年4月1日から埼玉県の河川を調査する河川事務所は、主に利根川水系を「南部河川改修事務所」、主に荒川水系を「西部河川改修事務所」が分担していました。しかし、昭和59年3月をもって西部河川改修事務所が廃止され、新河岸川総合治水事務所が設置されることとなりました。西部河川改修事務所の調査機能は南部河川改修事務所に引き継がれて、埼玉県全県の河川を調査する調査第一課(利根川水系)と調査第二課(荒川水系)が設けられることとなりました。
平成に入っても従来の河川計画の検討や氾濫解析等を行うとともに、平成9年6月には河川法が改正され、法の目的に「環境」が加わって重きとするテーマの変容に合わせて河川環境管理基本計画の検討、水環境改善緊急行動計画、河川環境情報図作成、正常流量検討等、柔軟に調査業務に当たってきました。また、平成13年には調査第一課と調査第二課を統合し、グループ制による「調査担当」として複雑化する課題に取り組む体制としました。
しかし、平成15年度に南部河川改修事務所が廃止されることとなりました。
南部河川改修事務所の調査担当が利根川水系と荒川水系に分割され、利根川水系調査業務は春日部市に所在している中川綾瀬川総合治水事務所へ、荒川水系調査業務については川越市に所在していた新河岸川総合治水事務所へ引き継がれたのです。
さらに平成19年3月をもって新河岸川総合治水事務所が廃止されることとなり、中川綾瀬川総合治水事務所が荒川水系調査業務も引き継ぐこととなり、平成19年4月から名称を改めて「埼玉県総合治水事務所」となり、利根川水系担当、荒川水系担当が調査業務に当たりました。加えて、平成30年4月1日から利根川水系と荒川水系が統合されて、再び「調査担当」となりました。
(令和の総合治水事務所)
埼玉県総合治水事務所は引き続き河川調査を着術に進めており、令和に入ってからは「想定最大規模の降雨による洪水浸水想定区域図」(Q&A(PDF:450KB))を作成しました。令和2年5月26日 埼玉県河川砂防課がこれを公表し、次の内容等を明らかにしています。なお、当該区域図は河川砂防課及び関係県土整備事務所で縦覧している他、データを上記リンクからダウンロードすることができます。
・浸水が想定される区域及び水深(想定最大規模降雨)
・浸水継続時間(想定最大規模降雨)
・氾濫流による家屋倒壊等氾濫想定区域(想定最大規模降雨)
・河岸浸食による家屋倒壊等氾濫想定区域(想定最大規模降雨)
・浸水が想定される区域及び水深(計画規模降雨)
※小野久彦氏 大正13年生まれ
昭和22年埼玉県土木部河川課に奉職(当時国家公務員の身分)
昭和28年「中川水系調査事務所」第2代所長に就任(昭和37年まで10年間在職)
昭和33年9月「中川流域の地形的成因と開発の歴史」『土地改良』第8巻、第9巻 発表
昭和35年埼玉県中川水系工事事務所長兼中川水系農業水利事務所長
昭和35年には「中川流域の水収支-消費量と還元量-に関する研究」で農業土木学会奨励賞を受賞
その後、小野氏は利根大堰、利根導水朝霞水路、武蔵水路の建設などに従事されています。
昭和50年埼玉県企業局技監兼水道部長
昭和53年1月19日「利根川および関連流域における流況の変容と水収支に関する研究」の功績で東京大学から工学博士(論文博士)授与される。
東京電機大学理工学部で教職に就く
所長 |
副所長 |
総務用地担当部長 |
総務用地担当課長 |
総務用地担当 |
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調査担当部長 |
調査担当課長 |
調査担当 |
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工務担当部長 (副所長兼務) |
工務担当課長 |
工務担当 |
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電車でお越しの場合は、東武伊勢崎線(スカイツリーライン)・一ノ割駅から徒歩約10分です。
自動車でお越しの場合は、国道4号の緑中前交差点を曲がってください。
(信号付近に「総合治水事務所」の案内看板がありますので目印にしてください。春日部市立緑小学校と緑中学校の間に事務所があります。)
地図データ 2011 ゼンリン
地図データ 2011 ゼンリン
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