トップページ > 県政情報・統計 > 県概要 > 組織案内 > 企画財政部 > 企画財政部の地域機関 > 北部地域振興センター本庄事務所 > 地域の見どころ・情報 > NHK大河ドラマ主人公 渋沢栄一の活躍を今に伝える県境の魅力めぐり その2

ページ番号:190595

掲載日:2024年6月4日

ここから本文です。

NHK大河ドラマ主人公 渋沢栄一の活躍を今に伝える県境の魅力めぐり その2

 埼玉県の最北端・本庄児玉地域は、通勤・通学、通院、買い物など日常的に群馬県との県境を行き来し、県北にあって熊谷市や深谷市などとは異なる生活圏を形成しています。

この県境にまたがる地域は、令和3年のNHK大河ドラマの主人公渋沢栄一や、2021年に没後200周年を迎える盲目の国学者・塙保己一をはじめ各分野で活躍する多くの先人たちを輩出しており、我が国の成長を支えた産業遺産も数多く点在する地域です。

この特集は、東京国際大学非常勤講師・NPO川越きもの散歩代表の藤井美登利氏に取材、執筆をお願いし、地域の皆様にご登場頂きながら進めてまいります。

当時の時代背景や、渋沢栄一と絹産業にまつわるお話など、写真やエピソードを挿み分かりやすくお伝えし、こちらにお出かけの際に参考となるよう周辺施設のご案内も併せてしていきます。

fujiisan

藤井美登利氏

東京国際大学非常勤講師・NPO川越きもの散歩代表 埼玉県共助仕掛人

https://kawagoe-kimono.jimdofree.com/

https://silk-story.jimdofree.com/(絹のものがたり)

さいたま絹文化研究会(秩父神社・高麗神社・川越氷川神社)会報誌発行。埼玉県内の染織工房や絹文化とまちづくりを紹介する単行本「埼玉きもの散歩」をさきたま出版会より上梓。

栄一ロゴ青

その2 世界遺産「富岡製糸場と絹産業遺産群」「田島弥平旧宅」(伊勢崎市)

140年前に島村からイタリアへ! ~渋沢栄一の養蚕人脈をたどる~ 

 

田島旧宅

田島弥平旧宅

本庄市と深谷市に接する島村は、利根川の中州とその両岸にできた村です。2019年の台風で、両岸を結ぶ渡し船が被害をうけるなど、島村の歴史は利根川の洪水との闘いでもありました。

しかし、島村の先人は洪水がもたらす土が桑の栽培に良いことや、蚕病を防ぐことに気づき、養蚕・蚕種業を発展させてきました。また、舟運は物資の運搬だけではなく、江戸や海外の文化もこの地域にもたらしました。

今回の訪問先はJR本庄駅から車で15分、世界遺産「富岡製糸場と絹産業遺産群」の構成施設のひとつである田島弥平旧宅です。 

今から140年ほど前、静かなこの村からイタリアのミラノまで蚕種を販売に出かけた人物がいました。換気を重視した養蚕技法「清涼育」を完成し、渋沢栄一の依頼で本家の田島武平と共に宮中御養蚕にも関わった田島弥平(1822-1898)です。弥平が建てた文久3年(1863)築の旧居が広大な敷地の中に現存しています。現在も子孫の方がお住まいですが、住宅兼蚕室の外観を見学することができます。約1600坪の敷地には、かつては母屋のほかに土蔵が3つ、貯桑所、物置、氏神さま、さらに母屋より大きい3階建ての新館がありました。最盛期の4月から7月の養蚕と種採りの季節には、50-100人を超える人たちが寝起きをして働いていました。利根川にも近いため、洪水時には家財をすべて二階に運び上げられるように、家中に押し入れは一つもない独特の造りになっています。 

繭

文政元年から明治17年までの繭が収められている。

(敷地内にある※桑場にて展示)

※桑の葉を刻んだり、道具を用意する場所

   島村の蚕種業の隆盛には、欧州の養蚕事情が関係していました。幕末にイタリア・フランスで蚕の微粒子病という伝染病が流行り、日本の蚕種の需要が欧州で急激に高まったのです。

特にイタリアは養蚕が盛んで欧州の絹の70%を生産していましたが、この伝染病の被害により壊滅状態に陥いったのです。明治元年(1868)には日本の蚕種輸出枚数は240万枚を超え、島村も蚕種輸出のバブルに沸き立ちました。明治10年には島村の蚕種家は233戸となり、島村全体の82%を占めるまでになりました。

イタリアへ直輸出!渋沢栄一のアドバイスで島村勧業会社を設立

明治元年、蚕種買い付けのため横浜に滞在していたイタリア人サビオ一行が、弥平の養蚕方法をみようと、田島家を訪問しています。横浜から町田、八王子、飯能、秩父を通り、中山道経由で来たようです。途中、生糸で栄え豪華な異人館のあった鑓水(八王子)で1泊していたかもしれません。サビオの妻だったのかイタリア人女性も同行しており、弥平の娘が結んでいた鹿の子絞りの帯を称賛したといいます。島村は横浜からのシルクロードの終着点でもあったのです。

その後、旧知の渋沢栄一のアドバイスもあり、蚕種の販売を行う島村勧業会社が設立されました。これは日本で初めての蚕種関連の会社でした。フランスで銀行や会社組織を学んできた、渋沢栄一ならではの発想でしょう。弥平たちは明治12年から15年まで4回ほどイタリアへ渡り、島村の蚕種を欧州で直販売しました。

明治12年12月に弥平ら3人は横浜からミラノに旅立ちます。島村を発つときには尋常小学校の生徒の歓送の辞に送られ、横浜では群馬県令(今の県知事)も参加する送別会が開かれました。弥平は当時57歳で3人の中で最高齢でしたが、養蚕方法の研究を極めた人物です。直販売は欧州の養蚕方法を視察出来る貴重な機会とばかりに、自ら参加を申し出たようです。横浜を出港して20日間かけて太平洋を横断し、サンフランシスコから大陸横断鉄道でニューヨークへ。途中ナイアガラの滝を観光し、ロンドン、パリを経由し2ヶ月かけてミラノへ着きました。持参した3万枚の蚕種は、温度の低いアルプスの洞窟に預けながら3ヶ月と20日間ミラノに滞在。三井物産会社の社員の世話になりながら蚕種を売りさばき、島村を訪問してくれたサビオとも再会したようです。帰りはスエズ運河経由でインド、スリランカ、香港に寄り出発の翌年の7月に帰国しました。7ヶ月かかったこの第1回目のミラノ行は、群馬県人による初めての世界一周旅行といわれています。  


 

島村勧業会社の定款です。フランス語とイタリア語が記載されている赤いラベルは、粗悪品と区別するための島村ブランド蚕種の商標です。東京の銀座8丁目に二階建ての洋館を購入し、島村勧業会社出張所としています。 

パスツールの研究による蚕種ブームの終焉

顕微鏡 

 

 

 

 

 

第3回目のイタリア直輸出の際に持ち帰った倍率600倍の顕微鏡。

しかし空前の蚕種ブームにも終焉がきました。フランスのパスツールが顕微鏡による検査法を確立し、微粒子病が撲滅したのです。またイタリア政府も自国の蚕種を奨励したため、次第に取引も下火になり、日本の蚕種輸出は明治17年(1884)に終了しました。その後、島村の蚕種は国内向きに販路を変えていきます。イタリアから持ちかえった顕微鏡は、後に日本の蚕病予防に貢献することとなります。弥平の子孫には家蚕遺伝学の先駆者・田島弥太郎博士がでています。

自治意識が高く、また、広い世界をみた弥平と島村の人たちは、板垣退助を招いて演説会を開催するなど、明治期の自由民権運動にも関わっていきます。 

 


 栗原さん

ぐんま島村蚕種の会 会長栗原知彦さん

 「私の生家もやぐらのある養蚕農家の建物でした。子供の頃はどこの家も養蚕を行っていました。島村のことを伝えていくため会員が週末に交代で、田島弥平旧宅でガイドを行っています。毎月第3日曜には、田島弥平旧宅の上段の間を公開(要確認)しています。ぜひ見学にいらしてください。 


教会 

 国の登録有形文化財 日本基督教団 島村教会 

 明治30年に建てられた木造の教会堂。明治初期に蚕種を輸出するために横浜に滞在していた島村の栗原茂平、田島儀七、金井保の3人がアメリカ人宣教師と出会ったのが島村とキリスト教の始まりです。その後この教会の信者である田島家から、同じくクリスチャンである入間市の石川組製糸一族に嫁いだ女性もでています。 


島村やぐら

 今も島村には大規模養蚕農家の建物が70棟近く残ります。明治維新からわずか12年でイタリアにまで渡り、島村ブランドの蚕種を販売したこの村の人々のパワーを屋根のやぐらが静かに伝えてくれています。

利根川風景

  島村の蚕種興亡をすべてみてきた利根川の流れ

コラム 渋沢栄一の養蚕人脈~尾高惇忠と田島弥平・武平

渋沢の論語の師匠であり、養蚕の知識もあった尾高惇忠は、渋沢が大蔵官僚時代に手がけた国家プロジェクト、富岡製糸場の初代場長に就任します。その尾高と弥平はともに幕末に代官所に蚕種販売の独占反対を訴え出て勝利を得た同志でした。島村の田島弥平家から深谷血洗島の渋沢の生家、そして尾高の生家は同じ商圏、文化圏で徒歩で回れる近さです。また、渋沢が関わった宮中ご養蚕には、渋沢の親戚の田島武平、田島弥平が世話役を務め、島村の女性たちと共に宮中で養蚕を行っています。渋沢の養蚕人脈はその後も明治の殖産興業に活かされていきます。この宮中ご養蚕は、今も皇后陛下に引き継がれています。

(文責 NPO川越きもの散歩・さいたま絹文化研究会 藤井美登利)

*本文・画像の無断転載はご遠慮ください。


<おすすめ本> 

上州島村シルクロード 蚕種づくりの人びと上州本

度重なる洪水など厳しい自然環境に負けず、横浜やイタリアへの蚕種の交易を目指す島村の若者を描く。当時の島村の人々の暮らしが綴られており、ジュニアノンフィクションだが読み応えのある作品。 
著者:橋本 由子 出版元:銀の鈴社

 

 

 


見学方法・アクセス(所要時間)・周辺施設のご案内

見学方法:田島弥平旧宅(伊勢崎市境島村2243番地)見学料無料 見学可能範囲は庭まで。団体は要予約。

連絡先 田島弥平旧宅案内所(伊勢崎市境島村1968番地40 旧境島小学校1階西側)に事前予約をしてください。(Tel0270-61-5924)

アクセス:本庄児玉IC⇒車約30分⇒「田島弥平旧宅案内所」…徒歩5分…「田島弥平旧宅」

周辺施設:「田島弥平旧宅案内所」駐車場有(無料)…徒歩約5分…「田島弥平旧宅」…徒歩10分…「島村教会」→「田島弥平旧宅案内所」車8分→「道の駅岡部」 

※「田島弥平旧宅周辺景観散策マップ」参照

 関連サイト 

世界遺産 田島弥平旧宅 | ググっとぐんま公式サイト|群馬の観光・イベント・名産や世界遺産情報

田島弥平旧宅案内所/伊勢崎市

群馬県立世界遺産センター 検索はセカイト | 世界を変える生糸の力研究所 世界遺産 富岡製糸場と絹産業遺産群の情報発信をする資料館のサイトです。 


 *参考資料

「宮中養蚕日記」田島民著 高良留美子編 境島村関係資料 ぐんま地域文化第28

「蚕にみる明治維新―渋沢栄一と養蚕教師」 鈴木芳行著 

「蚕の村の洋行日記」丑木幸男 平凡社

 写真協力 斉藤美春

 

より良いウェブサイトにするためにみなさまのご意見をお聞かせください

このページの情報は役に立ちましたか?

このページの情報は見つけやすかったですか?