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掲載日:2024年6月4日
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*この記事は、2021年度に掲載した記事です。
埼玉県の最北端・本庄児玉地域は、通勤・通学、通院、買い物など日常的に群馬県との県境を行き来し、県北にあって熊谷市や深谷市などとは異なる生活圏を形成しています。
この県境にまたがる地域は、令和3年のNHK大河ドラマの主人公渋沢栄一や、2021年に没後200周年を迎える盲目の国学者・塙保己一をはじめ各分野で活躍する多くの先人たちを輩出しており、我が国の成長を支えた産業遺産も数多く点在する地域です。
この特集は、東京国際大学非常勤講師・NPO川越きもの散歩代表の藤井美登利氏に取材、執筆をお願いし、地域の皆様にご登場頂きながら進めてまいります。
当時の時代背景や、渋沢栄一と絹産業にまつわるお話など、写真やエピソードを挿み分かりやすくお伝えし、こちらにお出かけの際に参考となるよう周辺施設のご案内も併せてしていきます。
藤井美登利氏
東京国際大学非常勤講師・NPO川越きもの散歩代表 埼玉県共助仕掛人
https://kawagoe-kimono.jimdofree.com/
https://silk-story.jimdofree.com/(絹のものがたり)
さいたま絹文化研究会(秩父神社・高麗神社・川越氷川神社)会報誌発行。埼玉県内の染織工房や絹文化とまちづくりを紹介する単行本「埼玉きもの散歩」をさきたま出版会より上梓。
農村ミュージアムかねもとぐら
高窓(※)のある養蚕農家の集落で知られる小平地区。令和2年7月、NPOネットワークひがしこだいらのメンバーの根岸敬明さんが、自宅敷地内の蔵を改装し、養蚕関連資料を展示する「農村ミュージアム」を開館されました。
民具の展示も興味深いものがありますが、開国間もない頃、資源の乏しい日本が『蚕』という虫を通して産業や経済を作っていこうと奮闘していた時代の空気を感じることができます。このミュージアムの主人公はその時代を生きた根岸さんの曽祖父・根岸坦二さんです。曾孫の根岸敬明さんにお話をお聞きしました。
※高窓の家
農家の主屋や蚕室の屋根に換気用の小さな屋根をのせたもの。越屋根、ヤグラと呼ぶ地域もある。
「2014年に『富岡製糸場と絹産業遺産群』が世界文化遺産に指定されました。私もこの4つの遺産群を回って来ました。蚕種貯蔵の荒船風穴、蚕種で栄えた島村の田島弥平旧宅、養蚕伝習機関の高山社跡、製糸の富岡製糸場などで構成されています。うちの曽祖父・坦二が児玉地域でやってきたこと、それはまるで富岡製糸場の世界遺産のミニ版ではないかと気づいたのです。
坦二はこの自宅敷地内に養蚕伝習の高山社分教場を開き、蚕種を製造をする神蟲園を作り、繭で出荷するより付加価値をつけて生糸を作る方が地域が豊かになると、秋平製糸所を作りました。また、不動の滝に氷の田んぼをつくり、蚕種の貯蔵の氷の倉庫も手掛けています。この地域だけで、世界遺産に匹敵する事業を興したのです。」
高山社(藤岡市)
曽祖父、坦二の母は、世界遺産に登録されている高山社(藤岡市)を創設した高山長五郎と、競進社(本庄市)を開設した木村九蔵の妹です。坦二にとっては、生涯を養蚕飼育法の研究に費やした偉大な養蚕教師である二人の兄弟が伯父にあたります。 明治17年、坦二6歳の時に、母の実家、高山長五郎の家で暮らすことになりました。その年に長五郎は、養蚕伝習所をはじめ、幼い坦二もそこで養蚕を学んだといいます。2年後に長五郎は亡くなりますが、その後も坦二は高山社で「清温育」の知識と理論を身に着けます。児玉で競進社を開いた、もうひとりの伯父木村九蔵にも薫陶を受け、明治28年17歳で高山社授業員(養蚕教師)として、千葉県を始め他県へ出張し当時の最新の養蚕技術の指導に奔走しました。
高山社は全国養蚕の総本山
高山長五郎、木村九蔵が養蚕伝習所を設立した明治17年ごろ、蚕は天の虫、運の虫、といわれ、養蚕はお天気まかせ、神仏頼みで行われていました。寒暖の差や病害で全滅することもあり、その際は川に流して捨てることも。一方では座繰り製糸の改良が進み、原料である繭の良質化が要求されました。
高山社が採用した「清温育」は、従来の飼育法より5日ほど成長が早いので、田植えや麦の収穫に繁忙を極める養蚕農家に歓迎されました。さらに、糸質も良好な白繭の蚕種の販売もしたので製糸家にも喜ばれたといいます。明治後期には朝鮮や清国からも生徒が集まり、全盛期には高山社の分教場は全国に116カ所、社員も4万人を超えました。長五郎が理想に一番近いと評価した蚕種「又昔」を、坦二も扱っていました。
当時の和紙に包まれたままの蚕種「志ら玉」「又昔」農村ミュージアムで見ることができます。
明治38年、坦二は27歳で自宅の敷地内に高山社分教場を開きます。
当時の記念写真と高山社からの開講許可書が残されています。黒紋付を着て誇らしげに写っている坦二をぜひご覧ください。7歳で母と別れ、高山社の高山長五郎のもとで蚕とともに育った明治の青年がそこにいます。
(写真:最前列の左から5人目が根岸坦二です)
「世界遺産の構成要素は、蚕種(島村田島弥平宅)、養蚕学校(高山社)、製糸場(富岡製糸場)で構成されています。坦二は神蟲園で蚕種、高山社分教場で養蚕伝習、秋平製糸所で製糸とこの地区だけで、世界遺産に匹敵する地域遺産を作りました。地域の雇用や発展に貢献したと思います。
蔵には渋沢栄一翁の著作『実験論語処世談』とともに、当時使われていた論語の教科書が数冊大切に保存されていました。栄一翁の『論語と算盤』の精神ですね。坦二は自分で読むだけではなく、社員教育にも活用していたと思われます。
また、坦二が作らせた漆塗りの来客用のお膳が残っています。家紋と屋号の「カネ本」が染付られているものです。坦二が高山社や競進社でお世話になった方々をうちに招待した際に作らせたと、聞いています。6歳から伯父の高山長五郎の元で育った曽祖父が、『一人前になりました』ということを亡き伯父たちに見せたかったではと思います。
秋平製糸所は70人の女工さんがいたそうですが、戦時中は軍需工場に接収されました。戦後に建物は壊されましたが、製糸所の屋根にあった「カネ本」「蚕」の文字の入った鬼瓦が残されています。近くには釜屋という屋号の家があり、製糸所の釜焚きをやっていた家だったそうです。
うちも養蚕をやめてずいぶんたちます。この地区の高窓のある家も、もう養蚕をしている家はありません。かつてこの地域でさかんだった養蚕や製糸のことや、地域の身近な歴史を発信する場所にしたいと思っています。」
小平地区に残る高窓の家々にはそれぞれの養蚕、蚕糸の家族のものがたりが眠っているように感じます。ぜひ農村ミュージアムを訪れて、それぞれのひいおじいさんの時代の暮らしや社会を振り返る「時間旅行」もお楽しみください。
訪問者の記帳とともに頂ける「秋平製糸所」木札は、素敵な記念になると思います。
(文責・NPO川越きもの散歩・さいたま絹文化研究会 藤井美登利)
*本文・画像の無断転載はご遠慮ください。
参考資料:「絹先人考」シルクカントリー双書「まゆの国」井上善治郎
「ふじおかから世界へ 養蚕教育の父 高山長五郎の生涯」藤岡市
「本庄市の養蚕と製糸」本庄市教育委員会
渋沢栄一デジタルミュージアム(外部リンク)
見学方法:本庄市観光農業センター(本庄市児玉町小平653 木曜日定休)に事前予約をしてください。(0495-72-6742)
アクセス:東京方面からは寄居スマートIC、群馬方面からは本庄児玉IC⇒両ICどちらからも車約20分⇒
(かねもとぐらには駐車場はありません。)
周辺施設:「本庄市観光農業センター」駐車場有(無料)⇒徒歩約3分⇒
日本三大栄螺堂「成身院百体観音堂」⇒徒歩約5分⇒
世界遺産「高山社」の分教場「かねもとぐら」⇒徒歩約3分⇒
古民家カフェ「大門家」⇒ 徒歩約8分「本庄市観光農業センター」⇒
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