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掲載日:2023年11月1日
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第五弾は、(有)戸谷八商店から中央3丁目交差点までを紹介する。
※この地図は、国土地理院長の承認を得て、同院発行の電子地形図(タイル)を複製したものである。
(承認番号 平28情複 第1079号)
(有)戸谷八商店から100メートルほど西に進み、細い道を右折する。
ちょっと歩くと、右側に洋館風の建物が。「飯塚歯科医院」と「飯塚医院」の2つの看板がある。今は使われていない様子だったので、奥にある飯塚歯科医院を訪ね、飯塚能成さんに話を聞いた。
「医院の建物は、昭和3~4年頃に建てられたもの。私の祖父が開業し、そのあとを母が継いだ。今はやっていない。」とのこと。ちなみに歯科医院の方も同じ雰囲気の洋風の建物となっている。
なお、能成さんは、本庄市児玉郡歯科医師会長を務めるかたわら、「太平洋美術会」の会員として数々の絵画を残しており、歯科医院の待合室にも素敵な絵が飾られていた。
飯塚医院のすぐ北側にあるのが愛宕神社だ。
(飯塚能成作)
愛宕神社は、天正19年(1591年)に本庄城主小笠原信嶺が勧請したと言われ、愛宕山と呼ばれる古墳の上に鎮座し、神木の大欅が枝を広げている。
この欅は樹齢400年以上と言われており、昭和43年、本庄市指定の文化財となっている。
開善寺の鎮護のために創建されたものと思われるが、神仏分離の後は開善寺の管理を離れ、地元仲町の人々によって祀られるところとなった。
石段脇の庚申塔(安永10年〔1781年〕)は道標を兼ねるもので、「右八まん山道 左よりい道」と記されている。
愛宕神社から開善寺に向かう途中、面白いものを発見。
店名が逆さまですけど。何か深い意味があるのかな?
さらに進み、つきあたりにあるのが開善寺である。
開善寺は、天正19年(1592年)の開山。
本庄城主小笠原信嶺の墓所であり、屋根瓦には旧武田家であったことを示す三階菱の家紋が見える。
創建当初は壮大な本堂であったらしいが、度々の火災と建て替えで現在の規模となっている。
信嶺公夫妻の墓は門前の道路を挟む南側墓地の古墳を利用した小山の上に、また、二代城主信之公の墓は北側墓地中央にある。
「武田信玄公画像」は織田有楽斎の筆で、市の指定文化財となっている。
さて、中山道に戻ろう。
趣のある郵便局が目に留まる。これが本庄仲町郵便局だ。
秩父セメントの創始者である諸井恒平が昭和9年(1934年)に建築。
外観はタイル張りで、当時世界的に流行したアールデコ調の装飾が階段の手すりなどに採用されている。独特の風格を漂わせており、昭和初期の歴史的景観を留めている。
国登録有形文化財である。
仲町郵便局の裏に諸井家住宅はある。
諸井家は、代々鳥見役を務めた旧家で、実業家である貫一、外交官の六郎、書道家の春畔、音楽家三郎など多くの名士を輩出している。
この住宅は、10代目諸井泉衛が、開善寺の火災による焼失後、大工に横浜市の洋風建築を学ばせ、明治13年(1880年)に建築したものである。
コロニアル風のベランダ、漆喰でアーチ状に仕上げた天井、色ガラスの窓など、随所に洋風の建築手法が散りばめられている。
県指定の文化財である。
仲町郵便局からちょっと西に行ったところに目立つ黄色い看板がある。それが電気館カレーだ。
変わった名前の店である。
この辺りに「電気館」という県内で一番古い映画館があったそうだ。
ちなみに、その電気館ができたのは大正3年とのこと。
オープンから8年。宮崎店長は「この辺りは、むかしは賑わっていた。昔の賑わいを取り戻してほしいという思いがある。」と語ってくれた。
建物は80年位前のもので、以前はパンやお菓子、かき氷などを売るお店だったという。
2色カレーは赤いトマトのビーフカレーと黄色いピリ辛のチキンカレー。じっくり煮込んであるカレーで、ビーフの方はやや甘め、チキンの方は後からじわっとくる辛さ。同時に二つの味が楽しめる。
ランチカレーは2種類のカレーのどちらかが選べる。トッピングにコロッケが乗っていて、サラダが付いている。
これ以外にも緑のポークカレー、ラーメンや定食など様々なメニューがある。
更に、月に2回、「昭和カレー」というメニューがあるそうだ。昭和カレーはラーメンスープと小麦粉、カレーパウダー、そしてポークで昔ながらの味を再現している。
2色カレー ランチカレー
夜は居酒屋として営業している。
宮崎店長は以前、鉄板焼きのモンドールというお店をやっていた。
メニューを見せてもらうとイベリコ豚のソテー、和牛ステーキ、エスカルゴまであり、昼とはまた違う顔があるようだ。
店内にはレトロなポスター
さて、電気館カレーの横の道を北に進んでみる。
80メートルほど行き、左折したところにあるのが本庄市歴史民俗資料館である。
明治16年(1883年)に本庄警察署として建設された、この地方で初めての本格的洋風公共建造物。県指定文化財である。
漆喰塗り大壁造りで、石造りを模した木柱への彫刻、天井の灯火掛け部分のレリーフ、半円窓などモダンな造りとなっており、市民に長く親しまれてきた。
昭和10年(1935年)に警察署としての役割を終えたが、消防団本部、簡易裁判所、区検察庁、公民館、図書館として利用され、現在は歴史民俗資料館となっている。
本庄市のマスコットキャラクター「はにぽん」のモデルとなった盾持人物埴輪や全国で初めて完全な形で出土したガラス小玉鋳型などが展示されている。
田村本陣の門もここに移設されている。
歴史民俗資料館からもとの道に戻り、さらに北に進む。
この道は旧伊勢崎道で、中山道への迂回路として重要な街道だったらしい。
道なりに右にカーブし、二股に分かれるところを左方面に入ってみる。
坂を下ると小さな橋が。寺坂橋と書いてある。
何の変哲もないような橋だが、元小山川に架かるこの橋、実は歴史的建造物である。
明治22年(1889年)の建設。橋長7.6メートル、幅員3.3メートル石造アーチ橋である。
両岸近くの迫石に五角形の切石を用いた特徴的な造りとなっており、石造アーチ橋としては埼玉県最古の橋である。
国登録有形文化財。
来た道を戻って中山道に出る。
中央3丁目交差点の手前にある「山口呉服店」。店舗の裏にも建物がつながっていてかなり長い。
表から見ると、間口はそれほど広くなく奥行きが長い、いわゆる「うなぎの寝床」。これは、江戸時代の典型的な商家の造りである。
中山道に面しているところが店舗で、その裏に蔵、そして母屋とつながっている。
店の人に話を伺ったところ、「創業は1844年なので180年近くになる。むかしから呉服店である。」とのことだった。
立派な門も残っている。
次回は、旧本庄商業銀行煉瓦倉庫界隈を辿ります。
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