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掲載日:2019年2月4日
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戦後、米軍は連合軍の占領政策により、全国各地に駐留しました。県内では、昭和20年に米陸軍が旧陸軍熊谷飛行学校に駐屯したのをはじめ、県内各地の旧軍施設を接収して基地としました。現在、公園整備が進められている県内の基地跡地は、所沢基地跡地、キャンプ朝霞跡地及びジョンソン基地跡地があります。
所沢基地は、明治44年4月に我が国初の陸軍飛行場の航空教育施設として使用され、この時「アンリ・ファルマン機」が飛行高度10m、距離800mを最初に飛行したことに始まります。敗戦後、昭和20年に米軍が接収、昭和46年所沢補給廠跡地の大部分が返還され、昭和47年、国有財産関東地方審議会の答申を得て跡地利用計画が決定されました。
跡地利用計画での公園予定地は南側が国道、東側は県道、さらに西武新宿線の新駅(航空公園駅)に接し、非常に交通の便に恵まれた場所で市街地に囲まれた都市公園には、最適の立地条件でした。この公園計画の決定に先立ち、昭和48年11月広く県民の意見を聞く公園建設広聴集会が開かれ、その意見を基に昭和49年3月、面積50haの県営で初の基地跡地公園が決定されました。
ここは日本初の飛行場として我が国の航空界に多大な足跡を残したことから、所沢航空記念公園の名称で開設し、広大な敷地と豊かな緑の中に、所沢航空発祥記念館も整備され多くの県民に親しまれています。
キャンプ朝霞跡地は、東京都心から西北方約20kmの埼玉県朝霞市、和光市、新座市並びに東京都練馬区の3市1区にまたがる平坦な土地で、昭和48年6月に南地区の大部分が米軍から返還され、昭和54年11月に跡地利用計画が決定されました。
昭和62年1月、都市化の著しい県南西部地域のキャンプ朝霞基地跡地の一角である和光市分の約20.2haを、快適な居住環境の確保と美しい都市景観の創造を図る県営公園として計画決定しました。
この公園は、憩いや安らぎの場やスポーツ・レクリエーションの場として多目的広場、芝生広場、ジョギングコース等を整備すると共に、災害時の広域防災拠点として機能する和光樹林公園として、平成5年1月に全園開設しました。
ジョンソン基地跡地は、東京都心から西北方約40kmの埼玉県狭山市及び入間市に所在します。昭和13年旧陸軍士官学校が設立されましたが、昭和20年に米軍に接収され、昭和33年以降、数回にわけて返還されました。当初返還された基地跡地については、航空自衛隊入間基地の発足以来、自衛隊が逐次、全面的に管理使用していました。
当該地域は、首都圏近郊の人口急増地域に所在し、貴重な大規模土地であることや、現に本跡地の一部分が航空自衛隊入間基地として使用されていること等を考慮し、公園の整備等により良好な生活環境の確保及び都市の防災性の向上を図りながら、この地域に不足している学校その他の都市施設の整備を行うため、昭和56年国有財産中央審議会の答申を得て計画的な土地利用を図ることとなり、この中で2つの県営公園が整備されることとなりました。
入間市分では、平成5年に約15haの公園が計画決定され、平成10年4月に彩の森入間公園として開設しました。
また、狭山市分では、平成10年に約16.5haが計画決定され、平成14年4月に狭山稲荷山公園として開設しました。
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