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2022年2月17日(木曜日)

【スポーツで埼玉を元気にする!】水泳背泳ぎ 金子雅紀選手 ③

金子選手1

金子雅紀選手(イトマン東進所属)は、埼玉県川越市出身で0歳児からベビースイミングを始めました。高校3年のときインターハイ100m背泳ぎで7位に入り、筑波大学へ推薦入学。2013年に日本水泳連盟強化選手に選ばれ、2016年リオデジャネイロオリンピックに出場しています。バサロキックの技術を活かし、短水路(25m)での100m、200m背泳ぎの日本記録を持っています。現在は、世界水泳選手権出場を目指し、競技に励んでいます。
なお、金子選手へのインタビューは、先日インタビューした椿選手の紹介により実現しました。
※令和4年1月11日インタビュー

金子選手のインタビュー記事を3部構成でお届けします。ぜひ御覧ください。

1 水泳について

2 トレーニングについて

3 今後の目標等について

 

3 今後の目標等について

○モチベーションの高め方

練習ではずっとモチベーション高くできています。それがなぜかと言われると、もう性格的なもので、ただ単に水泳が好きなので、これといった動機付けはないと思います。オフの時にリフレッシュとして人と遊んだり、コミュニケーションをとったりすることができると、さらにモチベーションが高まります。あとは、おいしいものを食べたりおいしいコーヒーを飲んだりしています。日々、頑張る練習の前においしいコーヒーを飲むと、ちょっとカフェインの力もあるのですが、「よしやるぞ」と気持ちが高ぶります。コーヒーは新鮮な豆が香りも味もよいので、こだわって買うようにしています。自分で丁寧に入れると香りもよくて、リラックス効果もあるので、入れている時間も好きです。

オンとオフの切り替えはうまくできている方ですが、やはりうまくできていると調子もいいです。

 

○家族の存在

金子選手6両親には自由にやらせてもらいました。両親も周りの大人も感情的になって当たってくるような人がい なかったし、自分がある程度物心ついてからは、そういう人とは関わらないようにしていたので、自分でも穏やかな性格に育ったと思います。子供の頃はやんちゃで、僕がした悪さを兄がかぶって両親に責められたりしていたので、兄には嫌われていました(笑)。兄が大学生になって家を出てからは仲良くなって、社会人になって兄がマスターズ、自分がトップで泳ぐようになってからの方がいろいろと情報交換するようになりました。

オリンピックに出場した時は家族全員すごく喜んでくれました。それまでは兄から何ももらったことがなかったのに、その時は大事にしていた時計をくれました。両親も僕の名前が入っている記念タオルを作っていたので、はしゃぎ過ぎだろうと思っていたのですが、自分に子供が生まれた今はその気持ちがわかるようになりました。自分の子供がオリンピックに出たら本当に嬉しいと思うので、自分もそういうことしたくなるんだろうなっていうのは最近思うようになりました。

子供は男の子で生後半年なので、パパ先輩として椿選手(トライアスロン)にいろいろ聞いています。僕もできる限り子育てに参加しているのですが、はるかに妻の方が頑張ってくれています。子供が生まれたからというより、これまでサポートしてくれていた妻が今さらに子育てを頑張ってくれているので、水泳やらせてもらっている分頑張らなくちゃ、と思っています。

 

勝負飯は?

昔はトンカツを食べていました。今は重いので、妻が作ってくれる豚の角煮を食べたりしています。

普段の食事は管理栄養士さんに管理してもらっていて、基本的にそのメニューの食事を食べています。時期によって必要な栄養素を増やしてもらったり、サプリメントを取り入れたりしています。アスリートの食事は塩分が少なめというイメージですが、美味しく食べられるように調整してくれています。昔よりは代謝も落ちてきていて、練習量も減らしているので食べる量も減らしているのですが、基本的に1日約4000キロカロリー(成人男性の標準は1日約2600キロカロリー)とっていて、追い込みの時期は特別に調整してもらったりしています。若い選手に比べたら食べない方ですが、運動してはいるのでこれくらい食べないと痩せちゃいます。

 

○今後の目標(1月のインタビュー時)

3月に選考会、5月に世界水泳選手権(現在、延期で調整中)、9月にアジア大会があります。パリオリンピックに向けてというより、1年1年最高の結果を残していくことが大事なので、まずはその2つの大会向けて全力でやっています。

 

○応援してくれる県民へのメッセージ

金子選手7高校3年生まで埼玉県で過ごしたのですが、その頃関わってくれた人たちは、僕がここまでの選手になるとは思ってはなかったと思います。僕は遅咲きで、高校生まではほぼ無名でした。

でも、そこから努力を続けて雑草魂でここまで這い上がることができました。東京オリンピックには出ませんでしたが、次に福岡で行われる世界水泳選手権を一つの自分の集大成として、自分史上最高の結果で終わらせたいと思っています。ここまでやり切った、自分でこれだけ目標を達成することができたということを皆さんにお知らせできたらと思っているので、応援よろしくお願いします。