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掲載日:2023年2月8日
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明治女学校跡の説明板
番町文人通りのプレート
荻野吟子は、明治18年(1885)に開業した自身の医院で診療に当たるかたわら、同22年から明治女学校の講師として生理・衛生科目を教え、校医も兼務しました。同25年には7年間続けた医院を休業して、舎監(寄宿舎の指導監督者)に就任します。
しかし、同27年にすべての職を辞め、夫・志方之善の理想郷建設に協力するために北海道に渡りました。
現在、当時の建物は残っていませんが、明治女学校跡の説明板が立っています。また、隣接するビルの壁面に設置された番町文人通りのプレートには、明治女学校で吟子が校医を務めたことが紹介されています。
東京都千代田区六番町3-1
麹町駅5番出口から徒歩3分
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