トップページ > 健康・福祉 > 障害者(児)福祉 > 障害者の自立・社会参加 > 塙 保己一(はなわ ほきいち) 賞 > 塙 保己一について
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掲載日:2021年5月31日
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延享(えんきょう)3年(1746年)から文政(ぶんせい)4年(1821年) 塙保己一は江戸時代後期に活躍した全盲の学者です。 ※塙保己一の紹介動画はこちらから御覧ください。 |
※塙保己一の年齢は「数え年」で表記しています。「数え年」とは、年齢の数え方の一つで、生まれた時点を「1歳」とし、以降1月1日を迎えるたびに1歳加えるという方法です。
5月5日、武蔵国児玉郡保木野村(現埼玉県本庄市児玉町保木野)の百姓、荻野宇兵衛の長男として生れる。幼名寅之助。
病気で失明。辰之助と改名。
江戸に出て、雨富検校の門人となる。名を千弥と改める。
雨富検校に学問の道に入ることを許され、歌学や神道を学ぶ。
衆分となる。名を保木野一に変える。
勾当に昇進。雨富検校の本姓である「塙」を称することを許され、「塙保己一」と名乗る。
「群書類従」の出版を決意。
検校に昇進。
「群書類従」の出版計画を実行に移す。
水戸藩による「大日本史」の校正に加わる。
我が国最初の国学の専門機関「和学講談所」を設立。松平定信から「温故堂」の名をつけてもらう。
「群書類従」を完成。
総検校になる。9月12日死去。
ヘレン・ケラーが来日。4月26日、「群書類従」の版木や塙保己一の小さなブロンズ像に触れる。
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