トップページ > 文化・教育 > 国際 > 国際化の推進 > 埼玉親善大使 > 「埼玉発世界行き」奨学生 > 2024年度「埼玉発世界行き」奨学生 > 髙木佳祐(留学先:大韓民国)
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掲載日:2025年3月25日
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一般奨学金の学位取得コースを利用して学ばれている髙木さんのレポートです。
私は、2023年3月からソウル大学行政大学院の博士後期課程に留学しており、留学生活も2年が過ぎようとしています。昨年度に引き続き、留学先である韓国の紹介と、私の研究活動、そして埼玉親善大使としての活動についてご紹介させていただきます。
2024年、日本人の訪韓者数は約322万人、韓国人の訪日者数は約882万人となり、合計で1204万人に達しました。これは過去最高の数値であり、日韓の国交が正常化した1965年当時の往来者数(約2万人)と比べると、人的交流が飛躍的に拡大したことがわかります。現在、日韓は互いにとって主要な海外観光地の1つとして定着していると言えます。
しかし、昨年12月3日の夜に、韓国で突如発令された戒厳令は、多くの日本人に驚きと不安をもたらしました。戒厳令発令時、私は大学院の研究室で一人レポートを作成していました。スマートフォンに届いた戒厳令発令に関する緊急メッセージを目にした時、これは歴史で学んだあの戒厳令なのか、まさか戦争が始まったのかと動揺し、すぐにニュースを確認しました。
戒厳令とは、戦争や非常事態の発生時に、政府や裁判所の権限を軍に移し、国民の自由や権利を制限する大統領命令です。韓国では、過去に戒厳令を発端として軍が国民を弾圧した歴史(1980年の光州事件)があるため、今回の戒厳令に対しても多くの韓国国民が驚愕し、事態の重大さを認識しました。
今回の戒厳令は、事前の予兆や予告もなく突如として発令されたものの、韓国憲法の規定に基づき、国会議員の過半数の要求によってわずか数時間で解除されました。しかし、過去の歴史を忘れていない韓国市民の中には、今回の事態に対して怒りや恐怖を抱いた人も多く、大統領に対する信頼は失墜しました。直後に発生した大統領の弾劾を求める大規模集会には、全国各地から多くの市民が集まりました。
一方で、この戒厳令事態の背景には、大統領を擁する保守与党と、大統領のあらゆる施策に反対する進歩野党との激しい政治対立がありました。戒厳令発令から2ヶ月以上が経過し、一時は低下した与党の支持率も、戒厳令以前の水準かそれ以上にまで回復しています。今後も保守と進歩の激しい対立が続くと見られる中、日韓関係にどのような影響が及ぶのかが注目されます。また、このような政治的に不安定な時期に韓国に留学している研究者として、何を学び取り、その学びをどのように社会に還元すべきか、改めて自問する日々を過ごしています。
韓国の街並み
私は現在、ソウル大学行政大学院において、韓国の地方自治・地方行政の研究と、日韓の行政組織の比較研究の2つを主な研究テーマとして取り組んでいます。特に前者の研究に関連して、日韓の地方は人口減少や地域消滅の危機などの共通の課題を抱えており、極めて重要なテーマであると言えます。実際に私が留学生活を送る中で、学界内外において、こうした問題について議論する機会が多くあります。特に2024年度は、韓国大統領直属の政府委員会の会議や日韓財界人による勉強会などにお招きいただき、日韓の地方の現状や地方活性化政策についての講演や意見交換を行う機会を何度か頂戴しました。自身の研究が実社会と結びついていく経験は、研究へのさらなる動機付けにもなるため、こうした活動には積極的に参加するようにしています。
ソウルの政府庁舎。各種委員会の回議はここで開催。
また、地方の現地調査も積極的に取り組みました。一例として、外国人住民との共生事例として牙山(アサン)市を訪問しました。同市は中央アジア・ロシア系住民が多く居住している地域であり、街中では韓国語とロシア語の看板が並ぶ光景が見られます。実際に街を歩いていると、近くを通り過ぎた小学生たちがロシア語で会話をしており、その姿がとても印象的でした。こうした現地視察は調査費用が必要となりますが、「埼玉発世界行き」奨学金のおかげで充実した研究を行うことができました。改めて御礼申し上げます。
牙山市新昌(シンチャン)面の街並み
私は名刺を作成する際に、埼玉という地名を広く知ってもらうきっかけになればと思い、「埼玉親善大使」の文字を入れました。すると、これが予想以上の効果を発揮しました。名刺交換の際のスモールトークとして自然に埼玉の話題へとつなげることができ、当地の人々に埼玉の紹介をする良い機会となりました。最近は、日本へ複数回渡航したことのある韓国の方が増えているため、新たな旅行先として川越や秩父を提案し、観光地や名物を紹介しました。
また、私自身も「埼玉親善大使の学生」として認知されることで、学会などでも印象に残りやすくなり、大変助かりました。公式な会議やレセプションに参加する際には、親善大使のピンバッチを着用することで、そこから会話が生まれることも少なくありませんでした。「埼玉親善大使」という制度は、奨学生自身にとっても活用の仕方次第で大きな助けとなる、非常に意義のある制度だと感じています。「埼玉発世界行き」奨学生に選んでいただき、埼玉親善大使の役割を与えてくださった埼玉県ならびに関係者の皆様に、心より御礼申し上げます。
留学開始から2年が過ぎましたが、私の留学生活は今後も続きます。これからは論文執筆が研究活動の中心となりますが、奨学生に選んでいただいたご恩を忘れず、埼玉親善大使としての自覚を持ちながら、引き続き研究に励みたいと思います。