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掲載日:2024年3月15日
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埼玉県北部地域には、近代日本経済の父・渋沢栄一が残した足跡が多く残されています。
栄一の故郷である埼玉県深谷市や周辺の市町にあるゆかりの地を訪れてみませんか?
ゆかりの地ガイドマップ(表紙・裏表紙)(PDF:2,814KB)
名称 | 住所 | |
---|---|---|
1 | 旧渋沢邸「中の家」 | 深谷市血洗島247-1 |
2 | 晩香渋沢翁招魂碑・先妣渋沢氏招魂碑・渋沢平九郎追懐碑 | 深谷市血洗島247-1 |
3 | 青淵由来之跡の碑 | 深谷市下手計1241 |
4 | 渋沢青淵翁喜寿碑 | 深谷市血洗島117-6 |
5 | 青淵公園 | 深谷市下手計1241 |
6 | 諏訪神社 | 深谷市血洗島117-6 |
7 | 渋沢栄一記念館 | 深谷市下手計1204 |
8 | 尾高惇忠生家 | 深谷市下手計236 |
9 | 藍香尾高翁頌徳碑 | 深谷市下手計1145 |
10 | 鹿島神社 | 深谷市下手計1145 |
11 | 水藩烈士弔魂碑 | 深谷市血洗島地内 |
12 | 帰去来辞詩句碑 | 深谷市仲町20-2(深谷公民館敷地内) |
13 | 可堂桃井先生碑 | 深谷市北阿賀野地内 |
14 | 誠之堂 | 深谷市起会110-1(大寄公民館敷地内) |
15 | 清風亭 | 深谷市起会110-1(大寄公民館敷地内) |
16 | 日本煉瓦製造株式会社 旧煉瓦製造施設 | 深谷市上敷免28-10ほか |
17 | あかね通り | 深谷駅~旧煉瓦製造施設 |
18 | JR深谷駅 | 深谷市西島町3-1-8 |
19 | 岡部藩陣屋跡 | 深谷市岡部1201 |
20 | 岡部六弥太忠澄墓 | 深谷市普済寺811-1 |
21 | 華蔵寺 | 深谷市横瀬1360 |
22 | 渋沢栄一翁ふるさと館OAK(オーク) | 深谷市西島町2-18-20 |
23 | 愛染堂 | 熊谷市下川上32 |
24 | 妻沼聖天山 | 熊谷市妻沼1511 |
25 | 集福寺 | 熊谷市下奈良551 |
26 | 元素楼跡 | 熊谷市玉井1468 |
27 | 秩父道しるべ | 熊谷市石原「かめのみち公園内」 |
28 | 片倉シルク記念館 | 熊谷市本石2-135 |
29 | 星溪園 | 熊谷市鎌倉町32 |
30 | 秩父鉄道 | 熊谷市曙町一丁目1番地(本社) |
31 | 長島記念館 | 熊谷市小八林1022 |
32 | 根岸家長屋門 | 熊谷市冑山152 |
33 | 農村ミュージアム「かねもとぐら」 | 本庄市児玉町小平653(本庄市観光農業センター) |
34 | 茂木小平翁頌徳碑 | 本庄市千代田3-2 |
35 | 塙保己一記念館 | 本庄市児玉町八幡山368(アスピアこだま内) |
36 | 塙保己一公園内の保己一の墓と記念碑 | 本庄市児玉町保木野322 |
37 | 旧本庄商業銀行煉瓦倉庫 | 本庄市銀座1-5-16 |
38 | 旧本庄仲町郵便局 | 本庄市中央1-8-2 |
39 | 競進社模範蚕室 | 本庄市児玉町児玉2514-27 |
40 | 秋蚕の碑 | 美里町木部468-1 |
41 | 美里町ブルーベリー観光農園 | 美里町内 |
42 | 木村豊太郎君之碑 | 神川町大字二ノ宮751(金鑚神社境内) |
43 | 岩田忠一郎像 | 上里町金久保金久保1034-1(金窪(金久保)神社境内) |
44 | 今井屋 | 寄居町大字寄居1236-1 |
埼玉県では、渋沢栄一(深谷市)、塙保己一(本庄市)、荻野吟子(熊谷市)を埼玉県ゆかりの三偉人として顕彰しています。
深谷市出身。近代日本経済の父といわれる渋沢栄一は「道徳経済合一説」を唱え、第一国立銀行をはじめ、約500もの企業の設立・育成に関わりました。また約600もの社会公共事業、福祉・教育機関の支援と民間外交にも熱心に取り組み、数々の功績を残しました。
2024年7月3日に刷新される一万円札の肖像画にも選ばれるなど、今最も注目されている偉人のひとりです。
本庄市出身。7歳で病により失明してしまいます。世のため後のためになることをしたいという思いから、全国に散らばっていた多くの古い記録や史料を集めて分類・整理を行い、 41年をかけて666冊に編さん・刊行するという大事業を成し遂げました。これが「群書類従」であり、現在でも日本文学・歴史等を研究するうえで欠くことのできない重要な資料となっています。
障がい者の教育・福祉の発展に尽力したヘレン・ケラーは、塙保己一のことを「私の人生の目標とした人であり、心の支えです」と語っています。
熊谷市出身。東京の病院で婦人科の治療を受けたことがきっかけで女性医師の必要性を痛感し、医師を目指して勉学に励みました。
当時、女性が医師開業試験を受験することは認められていませんでしたが、持ち前の粘り強さで制度改革に取り組み、自ら拓いた試験の道で日本最初の公認女性医師となりました。
開業医として熱心に治療にあたったほか、医療・婦人解放運動の先駆者として活躍し、女性の地位向上や衛生知識の普及にも大きく貢献しました。
女性であることを理由に医師の道を閉ざされていた吟子を救ったのは、保己一が手掛けた大事業「群書類従」の中に含まれていた古代律令の解説書「令義解」でした。そこには女性医師の規定が認定されていて、これが「日本にも女性の医師がいた」という吟子の主張の根拠になり、医師開業試験を受けるための手助けとなりました。
保己一の「群書類従」の1万7線枚を超える版木の保管事業を今現在も続けている(社)温故学会は、保己一の偉業顕彰を目的として明治42年に栄一、井上通泰、芳賀矢一、塙忠雄(保己一のひ孫)の4名により設立されました。栄一の尽力によって、現在も保己一の残した版木から刷り上げられた本を手にすることができるのです。
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