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掲載日:2024年12月4日
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令和5年11月号にて意見を募集したところ、県内外合わせて800件余りの投稿をいただきました。
ご意見の一部を要約して紹介します。
★ユーザーローカルAIテキストマイニングによる分析( https://textmining.userlocal.jp/ )。投稿の中によく出てくるなど「重要度が高い」言葉から順に大きく表示しています。
【問合せ】県広報課
電話:048-830-2857
埼玉県民には基本的に「自分」がありません。北部の住民は「ほぼ群馬」に住んでいると感じているし、南部の住民は「ほぼ東京」に住んでいると感じている。埼玉といえばこれ!という絶対的な観光名所もありません。でもそんな埼玉に満足してしまうのが埼玉県民。何もないのが、ほっとする。イジられても笑い飛ばす。埼玉だけの豊かさがあるのです。
必要以上の東京への憧れがダサい!?ダサさは路線図ににじみ出ているように思う。どの路線も「東京に出たがっている」(笑)
「ダサい」と思われる最大の要因は、埼玉が、自他共に認める「なんちゃって東京」という意識を持っていることです。どれだけ東京を目指しても東京のまがい物にしかなれない、それが究極にダサいです。東京には無い本物の埼玉を追求すれば、日本中から憧れられるクールな埼玉になれます。まずは、東京のオマケ意識を捨て、埼玉の歴史や文化、産業をもっと知ることから始めましょう。埼玉には「日本一」がいっぱいありますよ!
千葉県出身の私がライバル県の「ダさいたま」へ嫁いで早20年。海は無くても、子育て支援を頑張っている埼玉は、やっぱり魅力的!「ライバル県に行くなんて裏切り者(笑)」と言っていた地元の友人も、今では大半が埼玉県民になっていることこそが、その証拠です!
「ダさいたま」と言われたのは約半世紀も昔の話では?県庁のある浦和には高層ビルやデパートがなく、普通列車も通過。ラジオから流れる歌「なぜか埼玉」。今や、新幹線や埼京線が開業。さいたまスーパーアリーナ、埼玉スタジアム2○○2や鉄道博物館など次々と名所も誕生。「翔んで埼玉」を余裕で笑えるのも埼玉発展の証です。
首都東京、海のある神奈川、千葉と張り合おうとしているのが、ダサい。でもその闘争心がある意味魅力。やっぱりダサくないよ、埼玉。
ダサいだのなんだの言われてもナンとも思わない。ダサくてイイ!俺が埼玉県を愛しているなら、それでイイ!
ダサいけど、その分肩の力を抜いて暮らせる「とかいなか」が埼玉の魅力だと思います。私が住む所沢も自然豊かで便利な良いところ。「ダさいたま」上等です!
結婚して都民から埼玉県民になり、当初「ダさいたま」に来てしまったと悲しかったです。観光地は無く、スーパーやデパートも規模が小さく、不便でした。電車や道路も全部都内に向かっていて、東西には武蔵野線、国道16号しかありませんでした。しかし、外環道や圏央道が出来て、ショッピングモールも増えました。考えてみると、東京に近く、平地で晴天率も高く、物価も安く生活は安定しています。ダサいけどダサくないのです。
埼玉県はダサいけど、愛着が湧く県だと思います。たとえ、華やかな県でなくとも長く暮らしていける。むしろいじられるくらい親しみやすいことは良いことだと思います。
私は老人ホームで働く介護福祉士です。ある日おばあさんがこう言いました。「かっこ悪い人の方が優しい」。ダサいを受け入れられる埼玉県民ほど、優しいのではと思います。
32年前、大学に進学した私。新入生歓迎会で埼玉出身の初対面の先輩から、いきなり「『ダさいたま』だと思ってるだろ!」と言われました。本気で言っているらしい先輩に、栃木出身の私は「?」。栃木県民にとって、埼玉は都会です。映画『翔んで埼玉』でも、そんな思いで見守る北関東勢の場面に、一番ウケました。
愛する夫が突然この世を去りました。決断を迫られた私は、独り身故にどんな遠い土地にも行ける立場にありましたが、選んだのは迷わず埼玉県に移住することでした。飯能の里山で車の無い不便さや、虫のラッシュ、玄関前から勾配40度の坂道も何のその、杉や檜の神々しい山々や鳥や蝶に癒される毎日…埼玉愛を日々感じています。
ニュースで、「埼玉はダサいのか?」というワードを目にした、長男5歳。 大好きな埼玉をダサいと言われて、「テレビ捨てる!」というくらい怒っています。生まれ育った土地をダサいと言われるのは、気分が悪いもの。そのくらい子供たちは埼玉に愛を持っています。
ダサさ(自虐)で人を和ませて笑顔にさせたい県民性だからだと思います。石川県金沢市に住んでいた大学時代、帰省土産で教授に十万石まんじゅうを買っていきました。加賀百万石の金沢市の歴史教授に十万石まんじゅうです。甘党の教授は「ふふ!十万石でまんじゅうね!」と喜んで食べてくれました。百万石の地に十万石まんじゅうを持ち込んだ私は、純粋にただひたすら「楽しませたい」それだけでした。なぜか自慢の思い出です。
それは埼玉県の実家から神奈川県の大学に通っていた時のこと。研究活動の一環で、海辺に出たことがありました。そこで先生が一言。「あなたは海を見せるだけで喜んでくれるからラク」はしゃぐのが普通だと思っていたところから、海が無いというのは意外と恥ずかしいことなのかもしれないと気付き、「ダさいたま」を自覚しました。なお先日、そんな神奈川県に母娘旅へ出掛けました。二人で海を見てはしゃぎました。
都内の職場や都内の合コン、都内の美容院のさり気ない話題などで住所や最寄り駅の話になると「埼玉の!霞ヶ関駅」と誇らしげに言うか、「川越(大まかに言うと)」と答えるかをその場の空気や人を見て判断している埼玉の霞ヶ関住民は私だけではないはず。
首都東京のベッドタウンというイメージが昔から強く、東京タワーや粉もん文化など、県を代表するようなものが無い故の「ダサい」かと思います。ただ、自然も多く、都心へのアクセスがいい割に地価は安いので、非常に暮らしやすいです。最近はその事実がバレ始めたのか、移住者も多く…。外野には「ダさいたま」と言わせておいて、今いる埼玉県民だけでメリットを享受していきたいのが本当のところ。
埼玉はダサさを隠れミノに甘い汁を吸っている。都心へのアクセスが良いのに「遠くて大変です」と嘘をついたり、「埼玉なので帰ります」と二次会をパスしたり。住宅価格はダサさを盾に都心ほど高騰せず、その利便性は遜色ない。埼玉の立地優位性は油田くらいズルい。俺たちは埼玉をいいように利用している。
埼玉県民は他県民にダサいと言われても動じないメンタリティを持つことに加え、埼玉に油断している他県民を出し抜くだけの狡猾さとポテンシャルがあるので、むしろダサいことこそが価値だと思っています。よく、埼玉県民は他県民に言われる前に「埼玉はダサい」と叫んでいますが、実はそれは戦略です。
首都東京への近さゆえ、都心への憧れを抱く気持ちが強くなり、自虐的な人柄になりやすいのかなぁと。他県の人たちがいる時には自らディスりがちですが、実は埼玉の人は埼玉愛が強い!ただ、それを悟られないように心の中だけにとどめておくのが埼玉県民の奥深さ。無理して「ダサくない!」と主張するよりも、「ダサくて何が悪い?」と開き直り、通だけが知る観光地や名産品をひっそりとアピールし続ける埼玉のままでいて!
埼玉の魅力は、30代や40代になり家庭を持ち、生活の根を下ろす時に初めて感じるのであり、若者にアピールするのは難しいと思います。若者は、東京などの都会に憧れるのが自然、健全だと思います。
県内に魅力的な観光地や、食、特産品が多数あるのは埼玉県民なら衆知の事実。それなのに、なぜ「ダさいたま」となるのか。それは、光と影の関係を考えると分かりやすい。隣接する東京都は日本の首都として、あまりにまばゆいばかりの光を放っている。そのため、埼玉県は、その光が作り出す大きな影に常に覆われることになる。前述の魅力なんてかき消すくらいの影。つまり「ダさいたま」は思い込みの産物と言えるかもしれない。
埼玉は東京のベッドタウンという側面があり、東京という煌びやかな街との比較をされてしまっているのが原因の一端であるとは思います。地方から移住してくる方も多いですし、住んでる土地を卑下して言うのはカントリージョークとして鉄板です。なので、映画にされるまでネタが昇華されていると思えば、ネタを受け入れられること自体が寛容な県民性を表しており、それこそが埼玉の魅力だと思います。
万能の天才レオナルド・ダ・ヴィンチの名はヴィンチ村のレオナルドという意味である。英語にするとレオナルド・from・ヴィンチになる。ということは「ダさいたま」は「from埼玉」であるのだ。さあ県民のみなさん、「from埼玉」からどんな未来をつくりましょうか。
映画『翔んで埼玉』の中で「世界埼玉化計画」というのがありましたが、本当にそうなるといいですよね。埼玉の良いところは、周りに押し付けない、周りからなんやかんや言われても「あ~そうだよね~」と納得してしまうところ。争う気持ちが無いし、そもそも争うという発想すら無い。これだけ世界のあちこちで紛争が起こっていると、世界が埼玉になってほしいと心底願います。
「ダさいたま」。県の名前が入った俗語が流行語となり、廃れることなく何十年も続いている。こんな言葉は他には見当たりません。「チバラキ」とか「グンマー」などは、いっとき流行っても長くは続かず、知らない方も多いはず。県の名前が入った言葉が社会に定着し、それを「遊ぶ」余裕もある。埼玉県恐るべし!そして大好きです!
「埼玉県といえば」というものがぱっと出てこないところがダサいイメージがあります。これを埼玉の魅力として生かしていくには、何も無いというところを逆に「可能性にあふれた県」として声をあげていくべきだと思います。
テレビ番組で脳科学者の方が言っていてなるほどと思ったのは「埼玉は日常の魅力があっても、特別感あるハレの魅力が無い」と。非日常を手早く広めるのは「食」。農畜産業に力を入れ、埼玉の良さを発信すべきだと思います。
埼玉は「魅力満さいたま」です。観光地や名産品など一時的なものが注目されがちですが、その県の真の魅力とは住んでみなくては分からないと思います。埼玉県は便利な交通網、運動のしやすい環境、高い教育レベルなど生活を支える要素がたくさんあります。ぜひ魅力ある埼玉を「生活」に焦点をあててもっと発信してもらいたいです!
実は、40年前にも本紙の前身である「県民だより」で同様の意見募集を行っていました。
読み比べると、県民の皆さんの埼玉に対する愛情は今も昔も変わらないことが分かります。
出典:「県民だより」昭和58年9月号
40年前の紙上討論会記事を初めて読んだ時、 課内の若手職員一同、埼玉のイメージが今とはあまりにも違うことに驚きました。
「改めて意見募集をしたら、当時とは違ったご意見が届くのでは…」と考え、今回の企画に至りましたが、 実際に「ダサい」「ダサくない」が拮抗する形となり、埼玉のイメージが変わってきていることを実感しました。
皆さまの埼玉愛を糧に、これからも埼玉の魅力をPRしていきます!
たくさんのご意見、本当にありがとうございました!
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