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掲載日:2024年12月10日
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毎年11 月 14 日の「県民の日」を記念して、県内の小・中学生の作文を募集しています。
作文を書くことを通じて、未来の埼玉をつくる子どもたちに郷土の歴史や風土、様々な魅力を再発見してもらうことを目的としています。
令和6年度「県民の日」記念作文コンクールでは『わたしが埼玉県を紹介するなら』をテーマに募集しました。地元への愛着や埼玉県の多彩な魅力について、みずみずしく豊かに表現した素晴らしい作品2,205点が集まり、最優秀賞、優秀賞を含む計59作品が入賞しました。
ここでは、最優秀賞および優秀賞をご紹介します。
受賞者:加須市立三俣小学校 4年 山田 陸葉さん
作品名:愛して、やまない
「ピーピ~ピィ~ピィ~イ。」
今年も、横笛の音が聞こえてきた。
「ししれんの、練習が始まったんだ。」
ぼくのからだも、うずいてくる。
「あの、「ささらのまい」が見られるぞ。」
埼玉県加須市多門寺の「ささら」は、「おじし・なかじし・めじし」の三頭のししで、江戸時代から三百年もつづく伝とうをほこる。ぼくは、「ささら」を見ながら大きくなった。
毎年、七月二三日に近い土曜日に、愛ご神社で祭りが行われ、十三時から神主さんの元、五こくほうじょう・商売はんじょう・あくまごうぶく・む病そくさいが、きがんされる。
そこで、「ほうのう」ささらの出番だ。けいだいで、いきおいよくまう、しし達のすがたは、ふるえるほど見事である。
そして、いよいよ祭りの始まりだ。「ささらのまい」を見に、大ぜいの人が集まる。
「ピィーピィ~ピイィ~。」
と笛方達の横笛がなりひびき、
「トン。トン。ドン。ドン。」
とめじしが太こをうち始め、おじしとなかじしがおどり出す。
・五時の部「めじしかくし」(初庭)
おじしとなかじしが、めじしをうばい合う内ようで、ぼくが好きなのは、なかじしがおじしをあおり、はげしくおどる所だ。
・六時の部「ささぬき」(中庭)
えき病たいさんをねがって、ささをえき病とし、ぬきはらう。おじしとなかじしが、かがみにうつったように、そろっておどるすがたが見どころだ。
・七時の部「つなきり」(まつ庭)
その名の通りつなを切るのだが、このつなはあのおそろしいりゅうとたとえられ、おじしとなかじしが協力し合って、じゃ気をはらう。めじしの太この音に二頭がまい、笛方達の音色が高まったその時、おじしがすばやくつなをきる。りゅうをたおし、祭りが終わった。
でもまだ、ささらは終わらない。よく日に、多門寺地区のじゃ気とむ病そくさいをねがう、村回り(四方がため)が待っているからだ。三年前までは、三百けんのげんかん先を一けん一けん回っておどった。だが、いじょうなあつさと、ささらの高れい化により、一昨年から村回りは、かく公園やお寺と一部のみ、おどる事になった。
ぼくは、その一昨年から、村回りのおっかけをしている。なぜならば、おどるししのとなりで「花がさ」をかぶらせてもらえるから。うすいぬのから、ししのまいが近くで見れるとくとう席だ。今年は作むえを買ってもらい、かっ好も気分も、ししれんだった。だけど、
「あー。今すぐにでも、おどりたい。」
これがぼくの本音である。もちろん小学生では、むりだとわかっている。それでもささらへの思いは、だれにも負けない自しんがある。
皆さん、すごいんです。ししになりきった「ささらのまい」を、ぜひ見に来て下さい。来年もさ来年の祭りも、必ずぼくはいます。
受賞者:県立伊奈学園中学校 1年 大木 悠靖さん
作品名:郷土かるたに学ぶ
あなたは「彩の国二十一世紀郷土かるた」を知っていますか。このかるたは、埼玉県の教育委員会が作成した郷土かるたで、埼玉県の自然や歴史、文化などをおりまぜた子どもからお年寄りまで楽しめる、素晴らしいかるたです。一昔前までは、学校の社会の授業でも取り上げられていたようです。
ぼくがこのかるたを知ったのは、深谷市の郷土かるた大会に参加したのがきっかけでした。初めて参加したのは小学校低学年のころでした。かるたの内容が正直難しいと思うものもありましたが、「栄一も 食べたねぎ入り 煮ぼうとう」という故郷深谷のかるたは深谷の子なら誰でも知っている「渋沢栄一・深谷ねぎ・煮ぼうとう」という身近なキーワードが含まれており、その当時の僕にも理解できたのを今でも覚えています。中学生になった今では、四十六枚のかるたに込められた歴史的な人物や建造物などが小学校のころより分かるようになり、かるたに描かれた宇宙飛行士の若田光一さん女医の荻野吟子さんをもっとよく知りたい、行田の「古代蓮」や川越の「時の鐘」などもいつか観に行きたいと思うようになりました。
現在も小学生を対象に市町村の子ども会連合主催のかるた大会が行われています。市町村の大会で勝ち上がったチームは、県大会に出場し、熱戦を繰り広げています。競技かるたともなると、かるたの内容や絵を理解しないとなかなか勝つこともできないので、みんな覚えることにも真剣です。その一方で、昔のように学校で扱われなくなってしまったことにより、このかるたを知らない子どもたちがたくさんいるのも事実です。
この夏、僕はふかや市商工会主催の「栄一翁かるた大会」に参加しました。このかるたは七月三日に渋沢栄一が新しい一万円札の顔となり、それに合わせて作られたそうです。渋沢栄一翁にゆかりのある歴史や人物が出てきて、難しいものもありましたが、また一つ故郷の歴史や文化を知ることができたと思うと嬉しくなりました。
郷土かるたは、年齢を問わず誰でもできるあそびの中で郷土を学び、再発見することを手助けしてくれるという点でも大変優れていると感じています。はじめてこのかるたで遊ぶ子どもでも、自分の郷土かるたを発見したらかつての僕のように嬉しくなるでしょう。僕は中学生になり地域のジュニアリーダーズクラブの活動を通じて競技かるたの運営に携わっています。この活動を通じ、郷土かるたの魅力をより多くの子どもたちに発信し、将来にわたり郷土かるた大会を続けていくことで、一人でも多くの子どもたちがかるた遊びを通じて郷土愛を持てるような環境を作っていきたいと考えています。
受賞者:秩父市立大田小学校 5年 冨田 花和さん
作品名:埼玉 東から西へ
私が思う埼玉県のおすすめは、コンテンポラリーからレトロまで味わえることです。
私の兄はさいたま市に住んでいます。交通も便利で、埼玉スタジアムや野球場や公園もたくさんあり、多くの人でにぎわっています。いろいろなお店もそろっていて、私もバレエ用品を買う時には大宮の専門店に行きます。
私の住んでいる秩父市は、自然豊かなところです。春、桜が山のあちこちにさくと、山が大きな花束のようになります。私は桜の花で作るジャムも好きです。新じゃがで作る秩父名物のみそポテトも大好きです。
五月の終わりくらいには家族みんなで田植えをします。埼玉県が育成した「彩のきずな」というお米を作っています。祖父が作るお米はとてもおいしくて人気があります。私も祖父のお米が一番おいしいと思います。
夏には川瀬祭りがあります。山や畑の緑はあざやかになり、トマト、キュウリ、つるむらさき、スイカなどおいしい野菜がたくさんできます。秩父市を中心とする地いきだけでさいばいされている「ちちぶ山ルビー」というぶどうなど果物もいろいろな種類ができます。私はぶどうも大好きです。
九月には稲かりをします。私は金色にかがやいている稲の間を歩いて学校へ行きます。すてきな通学路だと思います。寒くなってくると山の紅葉がとてもきれいになります。私はあざやかな黄色になったイチョウを見るのが楽しみです。
冬はとても寒いけれど、秩父夜祭があります。ならんだ屋台の上に上がる花火は有名ではなやかです。
秩父市にはレトロ風な街なみだけでなく、本当に古くてすてきな物もたくさん残っています。私の家にあるくらは、百八十年ほどの歴史があります。だから、埼玉の東の方から西の方に旅するとコンテンポラリーからレトロまで体験することができます。私はこんなすてきな埼玉県に住めて幸せだと思っています。他の土地の人にも知ってもらいたいです。
受賞者:深谷市立上柴東小学校 6年 谷口 春穂さん
作品名:栄一翁の優しい心
令和六年七月三日、新一万円札が発行された。新一万円札の肖像に選ばれたのは、私が暮らす深谷市出身の渋沢栄一翁だ。深谷市では、この一万円札発行記念のイベントが多く開かれた。また、深谷市だけでなく、市外や県外でも栄一翁グッズをよく見かけるようになり、深谷市民としてとても嬉しい。
昨年度参加したジュニアボランティアガイドは、私が渋沢栄一翁に興味をもつきっかけとなった。ジュニアボランティアガイドとは、渋沢栄一翁の関連施設を観光で訪れてくれた人に、小・中学生がボランティアでガイドをする取り組みだ。ガイドをするにあたり、専門家から講義を受けたり、実際に生家や記念館、飛鳥山にある栄一翁の邸宅を訪れた。そこで、学校では学べない栄一翁のエピソードを知り、人生を肌で感じることができた。
今、深谷市の小・中学校でも、「深谷の子六つの誓い」という行動目標を掲げ、渋沢栄一翁の立志、忠恕の心を受け継ごうとしている。立志とは、志(夢や目標)を持つこと、忠恕とは、思いやりを持ち、人のために行動することだ。
私が特に感心したのは、忠恕の心だ。栄一翁は、五百もの会社の設立、経営に関わっている中、社会的に弱い人のために、養育院や病院を造るなど、約六百もの社会事業にたずさわった。自分が金儲けをするためではなく、人の幸せのために行動する。それはとても大事なことだけれど、それを実現することはとても難しい。「自分の利益、目先の利益だけでは人は幸せになれない」という栄一翁の言葉が私の心に響いた。私なら、人の幸せよりも、自分の幸せを大切にしたり、一度に多くの仕事をしている内に、忙しくて他の人のためにという意識を忘れてしまうかもしれない。忠恕の心から、栄一翁が優しく、他人思いな人だったのがよく分かる。
栄一翁は「近代日本経済の父」ということは有名だが、忠恕の心の中にある栄一翁の優しさは、あまり、知られていないのではないだろうか。私もジュニアボランティアガイドに参加するまでは、栄一翁の表面的な凄さしか知らなかった。ガイドをすることで、栄一翁の本当の優しさを知ることができた。地元の偉人が、優しい心を持つ素晴らしい人物であるということが誇らしい。さらに、今回、その偉人が新札の肖像に選ばれたということは人生に一回あるだけでも、奇跡だと思う。だから私は、みんなに地元の偉人の優しさを知ってほしい。ガイドで学んだことを、友達や周囲の大人にもたくさん伝えて、少しでも、栄一翁の優しさを広めたいと思っている。
これからも、栄一翁の忠恕の心を受け継ぎ、夢と志を持ち、まごころと思いやりのある深谷の子になれるよう頑張りたい。
受賞者:県立伊奈学園中学校 2年 浦野 優彩さん
作品名:絆を作る「深谷ねぎ」
埼玉県には、さいたまスーパーアリーナや時の鐘、浦和レッドダイヤモンズなど、魅力的なものがたくさんある。私が魅力的だなと思うのは埼玉県の野菜だ。特に、私が住んでいる地域では深谷ねぎが有名で、魅力的だと思う野菜の一つだ。深谷ねぎとは、深谷地方で栽培されたねぎの総称で品種ではなく、かなりの多様性を持っている。また、糖度が高く、白根の部分が長いことが特徴のねぎだ。
私が深谷ねぎが魅力的だと思う理由は二つある。
まず一つめは、おいしいことだ。深谷ねぎは他のねぎと比べて甘く、火を通すとさらに甘くなる°深谷ねぎを使った「深谷ねぎカルソッツ」や「煮ぼうとう」などたくさんのグルメがある。深谷ねぎカルソッツは泥つきのまま焼くことで蒸し焼き状態になるので甘みが強い。また、深谷ねぎの様々な品種の食感の違いも楽しめ、ねぎ本来の味を味わえる。深谷の郷土料理、煮ぼうとうも深谷ねぎや深谷特産の野菜が入っている。山梨のほうとうと違う点はしょうゆベースだということだ。渋沢栄一も好んで食べていたほど、深谷の魅力がつまっている。他にも深谷の新しいご当地グルメ「深谷ねぎカレーやきそば」が深谷ねぎを使った有名なグルメだ。深谷ねぎカレーやきそばには三つの定義がある。
一「やきそば」であること
二「カレー味」であること
三「深谷ねぎ」を使用すること
定義にあるように深谷ねぎがメインのやきそばで、深谷ねぎが存分に味わえる。
次に二つめは、地域の人たちとのコミュニケーションが生まれ、地域の輪ができることだ。深谷市には深谷ねぎにまつわるイベントやキャラクターがある。小学校では、深谷ねぎの農家さんとの交流もある。深谷のゆるキャラ「ふっかちゃん」や深谷ねぎまつり、ネギロックなどのイベントがある。子供から大人まで訪れて楽しいと思える深谷ねぎを生かしたイベントだ。また、小学生では社会科見学で農家の方にお話を聞いたり、自分たちで育てることもある。私が一番魅力的だと思うイベントは十一月二十三日にある「深谷ねぎらいの日」だ。十一月二十三日の勤労感謝の日に、大切な人へ「ねぎらい」の気持ちを込めて深谷ねぎをラッピングした「ねぎ束」を贈り、労いの気持ちを形に表す日で、とても素敵な深谷市の習慣だと思う。
このように、深谷ねぎには、おいしいだけの魅力ではなく、深谷ねぎを通して地域の人とのコミュニティーや、大切な人との絆をより深められる、深谷市にとって特別な野菜だ。川越のさつまいもや狭山市の狭山茶などの農産物や、鴻巣市のいがまんじゅう、秩父地方のみそポテトなどは自然が豊かで「海がない」からこそのグルメだ。全国に八つしかない海なし県の一つで、日本一大きな関東平野がまたがる埼玉県。埼玉県にマイナスのイメージを持っていても、埼玉県に一度訪れてみたら、一度、野菜、グルメを食べてみたら、そんなイメージはなくなるはずだ。埼玉県の魅力は、各地の特産物が作った地域の輪で、埼玉県民にしか分からない地域のつながりや魅力がある。しかし、私も知らない魅力がまだまだたくさんあると思う。埼玉県の素敵な人と人とのつながりに感謝をして、埼玉県の魅力をたくさん見つけ、埼玉県のことを自慢できるようになりたい。
受賞者:さいたま市立浦和中学校 3年 樋口 侑生さん
作品名:日本一の「熱い」まち
私の祖父母の家は、埼玉県の熊谷市にあります。毎年夏になると「暑いですねぇ」といった感じの駅前インタビューや、八木橋百貨店の前にある大きな温度計がテレビに映り、「日本一暑い街」としてたびたび話題になっています。
しかし、熊谷の特徴は暑いだけではありません。埼玉県の中でも歴史が深く、様々な魅力がある都市なのです。
歴史上で初めて「熊谷」という文字が出てきたのは、平安時代。熊谷次郎直実という人物が、源平合戦の一の谷の戦いにて、平氏の総大将、平敦盛を討ち、その名を轟かせました。平家物語にも載っていて、僕も国語の教科書で読みました。そして彼が本拠地としていたのが、現在の熊谷市あたり。駅前には直実が馬にまたがる銅像が設置されていて、その人気がよく分かります。
次に出てきたのが「熊谷県」という地名。なんと熊谷は、県になっていたのです。その領土は、現在の埼玉県西部と群馬県全域。なんだかとっても広いです。成立していたのはわずか三年とかなり短かったですが、調べる中でかなり驚きました。
次に注目したのが、1945年8月15日の、「熊谷空襲」。この日と言えば、日本が太平洋戦争で連合国に降伏した日なのですが、この日の未明、アメリカ軍の戦闘機たちが熊谷に襲来、街は一瞬にして火の海に包まれました。また、火の手から逃れようとして近くの川に多くの人が飛び込んだものの、川の両岸から迫った炎に包まれ、大勢の命が失われました。
このような悲しい経験を経て、熊谷市では、8月16日に「とうろう流し」という行事を行い、戦争の悲惨さを忘れないようにしています。
このように、熊谷市には、たくさんの歴史があります。
歴史といえば、熊谷には歴史ある祭りが多くあります。例えばうちわ祭り。江戸中期に始まったといわれ、皆がうちわを持って祭りを楽しみます。私も参加したことがありますが、神輿や屋台の数が多く、笛の音も大きくてとても賑やかだった思い出があります。
また祭りだけでなく、春には桜堤でお花見、夏は花火大会など、季節ごとに見どころがたくさんあります。この桜堤は、日本さくらの名所百選にも選ばれていて、桜の桃色と菜の花の黄色の色合いがとても美しいです。
近年、熊谷はスポーツにカを入れています。その例が、ラグビーリーグワンに所属する、「埼玉ワイルドナイツ」です。「笑わない男」こと稲垣啓太選手などが所属している強豪チームで、これまでにリーグワン設立から三年間で優勝一回、二位が二回と、圧倒的な強さを誇るチームです。
また、プロ野球独立リーグに所属する「埼玉武蔵ヒートベアーズ」も、熊谷に本拠地を置いています。2023年シーズンに念願のリーグ優勝を果たし、盛り上がりを見せています。
古くから重要な都市であり、現在も発展を続ける熊谷市。街全体が、41.1℃の史上最高気温に負けないほど熱く盛り上がっています。そして、私は熊谷市が好きです。これからも、自分なりに魅力を見つけていきたいです。
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