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掲載日:2022年9月1日

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秩父川瀬祭の川瀬と屋台の行事 [秩父市]

川瀬祭保存会

秩父川瀬祭の川瀬と屋台の行事 [秩父市]_1220

  • 県指定無形民俗文化財
  • 秩父地域

川瀬祭は、お祇園とも呼ばれている。
19日夜半、各町内の若者が大太鼓をかつぎ道楽を奏でながら荒川竹の鼻河原に行き神酒、神饌を供え、水をもらって帰り、町内八坂神社仮宮に供えたり、町内の辻にまく、お水取り行事が行われる。清い水の力によってけがれを洗い落とす。
また、明治17年以降笠鉾等が建造され、付け祭りとして屋台4基、笠鉾4基が曳行される。
*公開日:7月19、20日(お水取り行事は19日頃)

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川瀬祭の民俗行事(東町屋台)

現在の屋台は、昭和8年に当時の名工、丸岡治助の手により建造された。元々は笠鉾であったが、大正8年に電線架設で曳行ができなくなり屋台となった。四方唐破風造が特徴である。

川瀬祭の民俗行事(番場町屋台)

現在の屋台は、昭和10年に荒木の工匠坂本盛太郎と髙橋卯三郎の手により建立された。内室の周囲を飾る中国の八仙人の彫刻は、内山良雲等による名品である。

川瀬祭の民俗行事(熊木町笠鉾)

建造は昭和29年と新しいが、大滝栃本から、笠鉾の勾欄・彫刻を譲り受け、笠(三層)・万燈・水鉢(せき台)・天道も宮側町笠鉾で使用したものを譲り受けている。

川瀬祭の民俗行事(中町笠鉾)

昭和11年に荒木の工匠坂本森太郎により建造された。笠は明治20年頃に建造された二代目笠鉾のものを用いている。彫刻は、「唐子遊び」を主題とし、川瀬祭笠鉾・屋台の中では特異な彫刻となっている。

川瀬祭の民俗行事(宮側町屋台)

現在の屋台は、昭和8年に当時の名工、丸岡治助の手により建造された。元々は笠鉾であったが、大正3年に電線架設で曳行ができなくなり屋台となった。反り木・腰支輪(彫刻)は初代笠鉾のものを使用している。

川瀬祭の民俗行事(道生町笠鉾)

平成9年、上町から三代目笠鉾を譲り受け、改修して曳行することになった。腰組は明治22年建造当時の上町笠鉾の形態を引き継いでおり、床が低く、腰支輪の幅が狭くなっている。

川瀬祭の民俗行事(上町笠鉾)

上町笠鉾(四代目)は、昭和57年の建造と川瀬祭の笠鉾・屋台の中で最も新しいが、笠は三代目笠鉾と同様に二重垂木を採用し旧態を継承している。腰支輪の波に亀の彫刻は、秩父祭上町屋台で使用していたものを転用している。

川瀬祭の民俗行事(本町屋台)

現在の本町屋台は昭和10年に建造されたもので、八棟造りの重量感溢れる屋根が特徴となっている。彫刻は、屋根の鬼板と懸魚、内室の立隠の左右、各一対で物語を表現している。