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発表日:2022年12月16日17時

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県政ニュース

「山王塚古墳」及び「南比企窯跡」の国史跡への指定について

部局名:教育局
課所名:文化資源課
担当名:史跡・埋蔵文化財担当
担当者名:野中・尾崎

内線電話番号:6988
直通電話番号:048-830-6988
Email:a6910-09@pref.saitama.lg.jp

国の文化審議会(会長:佐藤 信(まこと))は、令和4年12月16日(金曜日)開催の同審議会文化財分科会の審議・議決を経て、川越市に所在する「山王塚古墳」及び鳩山町に所在する「南比企窯跡」を史跡に指定するよう、文部科学大臣に答申しました。
答申された文化財は後日行われる官報告示を経て指定されます。これにより、国指定史跡の総数は1,888件になり、県内の国指定史跡は25件になります。
鳩山町での国指定史跡は初となります。

山王塚古墳(さんのうづかこふん)

  • 所在の場所 川越市大塚一丁目21番12ほか
  • 指定面積 8,409.43㎡
  • 特徴・評価

武蔵野台地北端部、川越台の西側縁辺に立地する上円部の直径37m、下方部一辺69m、墳丘(ふんきゅう)盛土の高さ5m、周溝を含めた規模一辺約90mの7世紀中葉以降に築造されたと考えられる上円下方墳(じょうえんかほうふん)です。古墳は旧地表面を整地した後に、上円部(じょうえんぶ)、下方部(かほうぶ)・周溝(しゅうこう)の順で成形されています。また、墳丘は関東ロームを叩き締めて構築されています。墳丘規模が大きいことや石室の構造は武蔵の地域的特徴を示す反面、上円下方墳という形態は畿内(きない)との密接な関係を窺わせます。古墳の構築方法や技術が発掘調査によって、明らかにされたことが重要です。また、武蔵における最終段階の大型古墳のひとつであり、大型古墳築造の終焉を考える上でも重要です。

山王塚古墳の遠景(川越市提供) 山王塚古墳の遠景(川越市提供)

石室から出土した門柱石(川越市提供) 石室から出土した門柱石(川越市提供)

石室から出土した須恵器(フラスコ形長頸瓶(ちょうけいへい))(川越市提供) 石室から出土した須恵器(フラスコ形長頸瓶(ちょうけいへい))(川越市提供)

本件の詳細に関するお問合わせ先

  • 川越市教育委員会文化財保護課・史跡担当 電話049-224-6097(直通)

 

南比企窯跡(みなみひきかまあと)

  • 所在の場所 比企郡鳩山町大字赤沼字石田1415番1ほか
  • 指定面積 38,168.94㎡
  • 特徴・評価

古代武蔵国(むさしこく)の四大窯跡の1つです。6世紀前半から10世紀中頃にかけて総数500基超の窯が操業し、その数は東日本最多を誇ります。窯体構造(ようたいこうぞう)は基本的に地下式窖窯(ちかしきあながま)であり、8世紀前半に最大化し、10m以上の規模を有します。南比企窯跡で生産された須恵器(すえき)や瓦(かわら)は、7世紀後半から8世紀初頭には武蔵国府(むさしこくふ)や郡家(ぐうけ) 、地方寺院等で利用されました。また8世紀中頃の武蔵国分寺(むさしこくぶんじ)創建や補修にあたり瓦が供給され、出土した文字瓦(もじがわら)から武蔵国21郡のうち16郡が生産に関わったことが判明しています。このように、古代において関東の窯業(ようぎょう)生産の中心的役割を果たすとともに、国分寺(こくぶんじ)造営における労働力編成の一端を示す窯跡として重要です。今回、南比企窯跡のうち鳩山町に所在する石田(いしだ)遺跡、新沼窯跡(しんぬまかまあと)、天沼(あまぬま)遺跡が指定されます。

新沼窯跡・天沼遺跡 俯瞰(鳩山町提供) 新沼窯跡・天沼遺跡 俯瞰(鳩山町提供)

新沼窯跡12号窯跡全景(鳩山町提供) 新沼窯跡12号窯跡全景(鳩山町提供)

新沼窯跡出土須恵器(鳩山町提供) 新沼窯跡出土須恵器(鳩山町提供)

本件の詳細に関するお問合わせ先

  • 鳩山町教育委員会文化財保護・町史担当 電話049-296-3862(直通)

報道発表資料(ダウンロードファイル)

「山王塚古墳」及び「南比企窯跡」の国史跡への指定について(PDF:600KB)

 

 

 

 

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