トップページ > 県政情報・統計 > 県政資料・県報 > 県政ニュース(報道発表資料) > 2022年度 > 2022年6月 > 「鎌倉街道上道」の国史跡への指定および 「午王山遺跡」の範囲の追加指定について
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掲載日:2022年6月17日
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部局名:教育局
課所名:文化資源課
担当名:史跡・埋蔵文化財担当
担当者名:野中・尾崎
内線電話番号:6988
直通電話番号:048-830-6988
Email:a6910-09@pref.saitama.lg.jp
国の文化審議会(会長:佐藤 信(まこと))は、令和4年6月17日(金曜日)開催の同審議会文化財分科会の審議・議決を経て、毛呂山町に所在する「鎌倉街道上道」を史跡に指定するよう、文部科学大臣に答申しました。また、併せて、すでに指定されている和光市の「午王山遺跡」の範囲の追加指定についても答申しました。 答申された文化財は後日行われる官報告示を経て指定されます。これにより、国指定史跡の総数は1,881件になり、県内の国指定史跡は23件になります。 毛呂山町での国指定史跡は初、また、街道を中心とした国の史跡指定は県内初となります。
鎌倉街道は、鎌倉時代から室町時代にかけて整備された鎌倉と関東諸国を経て各地を結んだ主要街道の総称で、鎌倉から武蔵(むさし)国・上野(こうずけ)国を経て信濃(しなの)国・越後(えちご)国へ向かう街道を「上道(かみつみち)」と呼びました。
今回指定されるのは、毛呂山町域の上道で、街道跡は北から鎌倉街道B遺跡・同C遺跡・同A遺跡・仏坂遺跡の総延長1305.9m、B遺跡を挟んで両側に広がる堂山下(どうやました)遺跡、その西側の崇徳寺(すうとくじ)跡と想定されている箇所、堂山下遺跡と崇徳寺跡の南側に広がる川角(かわかど)古墳群の一部からなります。
街道跡では、路面や側溝など道の遺構が良好に保存されています。中世の集落跡である堂山下遺跡は、同時代の文献史料にみられる苦林宿(にがばやしじゅく)の跡である可能性が高く、12世紀末から15世紀までの遺物が見つかっています。崇徳寺跡とされる箇所では墓域中心部において板碑を立てて固定した跡が39箇所確認されています。また川角古墳群でも中世板碑が確認され、特に22号墳は崇徳寺跡の墓域造成の基準となった可能性があります。中世段階の川角古墳群のうち上道に直交する墳丘の範囲は、苦林宿の内と外を隔てる境界としての役割を担っていたと想定されます。
このように、鎌倉街道上道は、中世の街道の遺構が良好に保存されているだけではなく、宿場と墓域、その境界という一体的な空間が残り、中世の街道の状況を明らかにする重要な遺跡として評価されました。
鎌倉街道B遺跡 川角・大類の掘割遺構(毛呂山町教育委員会提供)
崇徳寺跡南墓域で発掘された板碑列(毛呂山町教育委員会提供)
堂山下遺跡でみつかった井戸跡 (毛呂山町教育委員会提供)
荒川を望む独立丘陵上に位置する弥生時代後期を中心とする大規模環濠集落で、多数の竪穴(たてあな)建物跡と丘陵縁辺部に掘られた多重の環濠が見つかっています。今回は、丘陵上の一部で条件の整った区域を追加指定するものです。
和光市午王山遺跡 全景(北東より)(和光市教育委員会提供)