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発表日:2021年10月23日15時
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部局名:福祉部
課所名:社会福祉課
担当名:援護恩給担当
担当者名:坂爪、武川
内線電話番号:3277
直通電話番号:048-830-3277
Email:a3270-19@pre.saitama.lg.jp
先の大戦において戦没された本県関係の方々を追悼し、併せて恒久平和を祈念するため、下記のとおり戦没者追悼式を実施しました。
令和3年10月23日(土曜日)午前10時30分~午前11時30分
埼玉会館大ホール
178名
17名
県議会議長、県議会副議長
県議会議員、各団体の長
195名
先の大戦が終わり76年という長い年月が過ぎ、我が国は、荒廃した国土と終戦の混乱から他に類を見ない復興を果たし、平和と繁栄を築いてきた。
私たちのふるさと埼玉も、人口734万人を超える活力と魅力に満ちあふれた県として、力強い発展を続けている。
私たちが享受している平和と繁栄は、戦争による数多くの尊い犠牲とその御遺族の皆様の苦難の歴史の上に築かれたものであることを、片時たりとも忘れてはならない。
先人が築いた日本の心、歴史、文化は世界に誇ることのできる素晴らしいものである。この良き日本を、平和のうちに未来へとつなぎ、さらに発展させていくことこそが、祖国の繁栄を夢見て散っていった戦没者の想いに応える唯一の道であると信じている。
折しも令和3年は、埼玉県が誕生して150周年の記念すべき年である。私は、県民の皆様と共に、あらゆる人に居場所があり、活躍でき、安心して暮らせる「日本一暮らしやすい埼玉県」の実現を目指していく。
今日の我が国の平和と繁栄は、戦没者の皆様の尊い犠牲と、御遺族の皆様のたゆまぬ御努力の上に築かれたものであることを、我々は決して忘れてはならない。
悲惨な戦争から学んだ教訓を風化させることなく、平和の尊さを後世に伝え、永久に守っていくことが、今を生きる私たちに課せられた重大な責務である。
国外に目を向けると、隣国・北朝鮮は、国際社会の度重なる警告にもかかわらず、弾道ミサイル等の発射を強行している。繰り返される一連の行為は、全国民の平和への願いを踏みにじるものである。
私たち県議会は、我が国独自の制裁措置をより一層強化し、北朝鮮に問題の解決に向けた具体的行動を強く促すよう国に対して働きかけていく。
ここに改めて、戦没者の皆様の祖国発展への思いを深く心に刻み、安心して暮らすことができる、平和で豊かな郷土埼玉を築いていくために、全力を尽くすことを、御霊の前にお誓いする。
わが国は、深い悲しみを胸に、戦後の焦土の中から立ち上がり、多くの困難を乗り越え、国民のたゆまぬ努力により目覚ましい発展を遂げ、国際社会の中で平和と繁栄を誇る国となった。
この平和で豊かな時だからこそ、76年が経過した今でも決して消えることのない痛みと戦争の惨禍、そこに幾多の尊い犠牲があったことを、新たな世代に語り継ぐことが今を生きる我々の使命であり、犠牲となられた御霊を鎮める唯一の道であると確信している。
今日、世界においては無差別テロ、民族・宗教対立による地域紛争などが多発しており、これにより多くの犠牲者が生まれている。
また、新型コロナウイルス感染症の世界的な流行拡大は、国際協力の重要性を私たちに認識させた。
私たちは、いま一度、命の大切さを思い起こし、恒久平和の実現を積極的に進めることを、御霊の前でお誓いする。
私たち戦没者遺族が歩んできた道程は、一家の柱とする夫を、最愛の我が子を、兄弟を失い、長く苦しい歳月であった。その中で、お互いに助け合い、励ましあいながら懸命に戦後社会を生き抜いてきた。
私の父は、フィリピンのルソン島サンチャゴで昭和20年4月29日に戦死した。当時の私は4歳、弟は2歳、妹は0歳で、祖母が農業をして、母は小学校の教員をしていた。
戦死の公報が届いた時、母は涙を流し続け、気丈な祖母は「これからどう生活していくかだ。」と言った言葉を子供ながらにはっきりと覚えている。
先の大戦が終わり、今年で76年を迎えた。戦後の日本は平和を希求し、1度たりとも戦火を交えたことはない。これらは、尊い犠牲になられたご英霊の方々が、平和の種を蒔いたからであり、平和な生活を享受している私たちは、このことをいっときも忘れてはならない。
まだ、世界では地域や民族間の紛争、テロ等が繰り返され、多くの人々が犠牲になっている。戦争の犠牲者は、私たちで最後にしなければならない。