トップページ > 県政情報・統計 > 県政資料・県報 > 県政ニュース(報道発表資料) > 2022年度 > 2022年6月 > 「埼玉県荻野吟子賞」募集開始!―男女共同参画に尽力する個人・団体・事業所を表彰―
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発表日:2022年6月30日11時
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部局名:県民生活部
課所名:人権・男女共同参画課
担当名:男女共同参画担当
担当者名:青山、柿元
内線電話番号:2926
直通電話番号:048-830-2921
Email:a2250-05@pref.saitama.lg.jp
本県では、日本で最初の公認女性医師となった荻野吟子の不屈の精神を受け継ぐ先駆的な活動により、男女共同参画の推進に顕著な功績のあった個人や団体、事業所を表彰しています。
令和4年度の募集を7月15日(金曜日)から開始します。
多くの皆様からの推薦をお待ちしております。
先駆的な活動などにより各分野で特に功績が著しく今後の活躍が期待できる以下の個人又は団体
県内に所在し、女性の能力活用、男女の職域拡大又は仕事と子育て、家庭生活との両立支援など男女が共同して参画することができる職場づくりに積極的に取り組んでいる事業所
(1)個人・団体部門
市町村、団体又は県民による推薦(自薦は不可)
(2)いきいき職場部門
市町村、団体、事業所、県民又は地域振興センター所長(事務所長を含む)による推薦(自薦も可)
所定の推薦書様式により応募してください。様式は埼玉県ホームページからダウンロードできます。各種検索サイトから「埼玉県 荻野吟子賞」で検索してください。
http://www.pref.saitama.lg.jp/a0309/danjyo-ginko/oginoginko-shou.html
令和4年7月15日(金曜日)~令和4年9月30日(金曜日)まで(当日消印有効)
埼玉県荻野吟子賞選考委員会の選考を経て、知事が決定します。
令和5年2月に表彰式を行う予定です。受賞者には賞状と記念品を贈呈します。
主催:埼玉県
共催:熊谷市(荻野吟子出身地)
後援:内閣府男女共同参画局、独立行政法人国立女性教育会館、一般社団法人埼玉県経営者協会、NHKさいたま放送局、株式会社テレビ埼玉、株式会社埼玉新聞社、
株式会社エフエムナックファイブ、日本女医会埼玉支部
※経歴等は原則として応募時のもの
【大賞】1名・1団体
(有)佐藤酒造店杜氏。大学在学中に、彩の国酒造り学校で酒造りを学び、2015年に実家である(有)佐藤酒造店に入社。酒造りは男性が行うものという考えが強い酒造業界において、県内初の女性杜氏となり酒造りの責任者として蔵人を率いる。2019年、2020年には全国燗酒コンテストで金賞を受賞。
日本酒需要が低迷する中、女性や若い世代のニーズに応える酒造りに取り組み、自ら新商品の開発やデザインも手掛ける。(越生町在住)
女性経営者異業種交流団体。県が実施した「レディース・トップ・スクール」の修了生が集い昭和62年に設立。都道府県レベルとしては全国初の女性経営者・幹部による異業種交流グループ。
女性経営者・起業家育成に向け、勉強会や講演会、異業種交流を実施し、女性活躍を推進。若い世代の育成にも尽力し、県内大学の「ダイバーシティ」を学ぶ講義や県内 高校の経営を学ぶ授業への協力を行っている。(越谷市)
【奨励賞】1名
京都大学フィールド科学教育研究センター瀬戸臨海実験所 助教。海洋生物の生態・環境保全を研究。
女性の少ないフィールド科学分野において先駆的な研究に取り組み、多数の功績を収めている。(2020年度日本学術振興会育志賞、2021年度日本ベントス学会奨励賞など)
中高生に対し、性別を問わずフィールド科学分野に興味を持ってもらえるよう、出前授業や講演・交流会等に積極的に参加している。(朝霞市出身)
【いきいき職場部門賞】2事業所
福祉サービス事業。子供が小さいうちは非常勤パートとして、子供の手が離れたら再び正社員に、そして管理職といった働き方が可能。柔軟な働き方制度の導入は、ライフステージの変化による離職を防いでいる。
業務上必要な資格取得に係る受講料も会社が負担。女性のための多くの取組が今では男性にとっても活用しやすい制度となり、男女ともに働きやすい職場環境を提供している。
造園土木工事業、公園管理。女性の少ない造園業界において、女性が働きやすい職場環境づくりに取り組み、女性の新規採用や正社員登用に繋げている。
独自の業務管理システムを導入し、業務の効率化を図り残業時間を大幅に削減するなど仕事と家庭の両立を支援。また、家庭の事情に応じて柔軟な勤務時間も設定が可能。業界で必要な資格を会社負担で取得でき、女性社員が多くの資格を得て現場で活躍している。
荻野吟子は江戸時代末期の嘉永4年(1851年)に現在の熊谷市に生まれ、明治時代に活躍した日本最初の公認女性医師です。不慮の病で男性医師から婦人科の治療を受け、女性医師の必要性を痛感して医師を目指しましたが、当時、女性は医術開業試験の受験が認められていませんでした。制度改正に奔走するなど様々な困難を克服し、医術開業試験に合格して日本で最初の公認女性医師となりました。