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掲載日:2023年11月21日
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訪問日
令和4年7月21日(木曜日)
訪問地域
南西部地域(朝霞市、三芳町、富士見市)
訪問先
新電元工業株式会社は、半導体、電装製品、電源の製造・販売を行う企業。パワー半導体の製造、回路設計技術、システム実装技術の電源コア技術を併せ持つ稀なパワーエレクトロニクスメーカーです。
また、国内14、海外16の拠点があり、海外売上比率も60%を超えるグローバル企業でもあります。
令和3年4月に、研究開発機能及び事業運営機能を担っていた飯能工場(飯能市)の事業本部・部門の各機能と大手町本社の各種機能を集約し、朝霞事業所を開業しました。従業員のうち約9割が在籍しています。
朝霞事業所内は、全館無線LANなどICT環境を整備。フリーアドレスの導入や個人の集中ブースの設置、また、緩勾配オープン階段やフリースペースを設置するなど従業員の「快適性」を考慮した環境も整備しています。
知事は、会社概要について説明を受けた後、事業所内を視察し、代表者や社員の方々と意見交換を行いました。
製品の特長について説明を受ける
昨年4月に開設された朝霞事業所のコンセプトや研究開発体制を教えていただけますか。
若手や中堅の社員を中心にプロジェクトチームを作り、将来どのような会社を目指したいか、どのような製品を作りたいか、1年間フリーで討議してきました。朝霞事業所では、プロジェクトチームのメンバーを中心に新しい組織を立ち上げました。現在は、今までの職場・仕事に捉われずに何でもトライする、遊び心を持った技術屋の集団を目指して活動しています。活動の中で検討していたテーマのうちの一つが芽を出すかなというところまで来ています。そのテーマが10年先に実を結ぶのかなと思っています。
県としても、SDGsの推進を含め10年20年先を見据えた企業支援をしていかなければならないと考えています。
元々根付いていた企業文化との整合性、トランジション(※移行、変化など)はどのようにされたのですか。
過去の取引には捉われずに行こうと号令を掛けています。そうしないと文化は変わりません。徐々に変わりはじめていると思います。新しい事業所では一つの建物の中に全ての部署が入っているので、シナジーやケミストリーが必ず生まれてくると考え、期待しているところです。
コロナの感染拡大によってテレワークの普及等が進んだことで、社員同士のコミュニケーションが取りづらくなっているように感じますか。
今までのようにコミュニケーションが取れずに問題が生じるのではないかと不安はあります。特に従業員のメンタル面の不調については心配していますので、注意して対処していこうと考えています。
世界のリーデイングカンパニーであることはもとより、働きやすい会社であることがよく分かりました。皆様の取組をモデルとして、他の企業にも反映させていければ一番良いと感じました。本日はありがとうございました。
石坂産業株式会社は、循環型社会の実現を目指し、全天候型建設系産業廃棄物リサイクル工場を建設、「ごみをごみにしない技術」で減量化・リサイクル率98%を実現しています。
約22万平方メートルの敷地のうち8割は工場周辺で再生保全する里山で、日本生態系協会から生物多様性のJHEP認証で最高評価AAAを得ています。その工場と里山を「自然と美しく生きる、つぎの暮らし」を提案するサステナブルフィールド「三富今昔村」として一般公開を行い、年間約6万人が来場しています。
また、これまでの産業廃棄物中間処理事業者の枠を越えて、地域と共生する資源再生企業としてSDGsを推進しています。
リサイクル工場は彩の国工場に指定され、「三富今昔村」は体験型環境教育プログラムを提供する環境省の「体験の機会の場」に埼玉県で唯一認定されています。
知事は、リサイクル工場と「三富今昔村」の取組を視察した後、会社の概要について説明を受け、代表者や社員の方々と意見交換を行いました。
循環型社会実現に向けての取組について説明を受ける
御社の取組は、非常に面白く、野心的ですね。30年後にどのような工場にするイメージを持っていますか。
ごみは廃棄物ではなく資源であるということを理解してもらえるように、世の中の考え方をどう変えていくかということに焦点を当てて取り組んでいます。今は廃棄物の価値が見えない状態なので、その価値が見える工場にしていきたいと思っています。すでに、単にモノを作って、売ってそれで終わりという時代ではないので、何を未来に残していくべきかをモノを作る側であるメーカーの方にも一緒に考えてほしいと思っています。
行政としては、全く違うフィールドの会社とのマッチングの部分を支援したいと考えています。そうした際、大きく巻き込んでいければと考えており、その中心を御社が担えるのではないかと、先ほどからの説明を聞いて考えていました。
パートナー関係を結び、どう適応していくかという話になってくると思います。是非、その輪の中に参加させていただきたいと思います。
地域と連携する形で、発生する廃棄物を有効活用しつつ、エネルギーに変えるということは、世界から注目されるきっかけになると思います。
原料を調達し生産していく前に、設計という段階があります。その段階でサーキュラーエコノミー(循環経済)の考え方を適用していただきたいと思っています。ごみになる瞬間を意識して、設計や素材の選別など、捨てる時ではなく作る時からのプランニングが必要だと考えています。
単に循環ではなく、より回復させていくという考え方がもっとこれから大切になっていくと考えています。ネガティブなものを防ぐのではなくて、ネガティブなものをポジティブなものにどう転換していくかという技術開発がこれから有用だと思っています。
是非一緒に活動いただけるとうれしいです。
製品の素材が分解しづらくなり、処理コストが上がっているので、作る時の基準を設けたいと思っています。そうしないと素材が将来の処理コスト、ごみコストを押し上げてしまいます。
本日はどうもありがとうございました。
旧島田家住宅は、江戸時代文化・文政期(1804年~1829年)に建築されたと考えられる茅葺屋根の民家住宅です。
畑作新田として知られる三富の開拓が、さつまいもの導入により豊かになったことを証明する大型の家屋となっています。
このたび、三芳町農業の発展と地域(各団体)の親睦を図る事を目的とした、若手農業経営者による団体に加入し活躍する方々を訪問しました。
【若手農業経営者のそれぞれの取組事例】
知事は、若手農業経営者から取組内容について説明を受け、参加者の方々と意見交換を行いました。
若手農業経営者と意見交換する
皆さんの中にも、一旦サラリーマンになられた方もいらっしゃいましたが、学校を卒業された際には、農業というのは選択肢になかったのでしょうか。あるいは、選択肢としてはあったけれども、サラリーマンをやってみようと思われたのですか。
大学で農業に関する研究を行ってきました。学生時代は正直、農業を行う気持ちはあまりなかったです。農家だった両親や祖父母からも、家に戻って農業をやるようにとは言われていなかったのですが、大学卒業後に肥料メーカーで働く中で農協や農家さんと話す機会が多く、自分なりに工夫して農業に取り組む方がおもしろいのではないかと思い、就農しました。
私は農業とは関係のない大学に進学しました。卒業近くになり就職活動する際には、将来的には実家の農業を継ぐのかなという漠然とした思いはありました。ただ、親からは直ぐに農業をやるのではなく、一回は農業以外の世界を見てきた方が良いと言われ、一般の企業に就職しました。そして、20代後半に就農しました。
皆さんぼんやりとでも農業に関わるのだろう、家に戻るだろうというイメージはあったのですね。
三芳の伝統的な農法もすばらしいと思います。他方、親から引き継いだ農法以外の農業をやるという選択もあると思います。これまでの伝統を大事にするという考えと自分のやりたい農業をするということの葛藤はありませんでしたか。
私は全くありませんでした。実家で行っていた農業に限界を感じていましたので。当時、農地が離れており、また水もなく、人手やホウレンソウの市場価格にも問題(低価格)がありました。冬場にこんなに頑張っているのにという思いがあり、また、元々実家で行っていた農業に限界を感じていたこともあって、一思いに変えてしまったらいいのではと考えました。なるべく夏場に売上げを上げて、その利益をイチゴに注ぎ込むようにしました。
県では「べにたま」を開発し、昨年から試験栽培を行っています。今シーズンから少し広げていくことになると思います。
三芳町の農家はそれぞれが経営を行っていくパワーがあり、切磋琢磨してやれていると思います。それぞれの発想があり、特に若い農業後継者からはブランド化などよいアイデアが出ていると思います。
自分が若い時と今の若い人の考え方が違うと感じます。昔は親の言うとおり農業をしている感じで、面白みがなかったと思います。今は、農業をやっていて楽しいし、楽しいから後継者もやりたいなと思っていると感じます。収入も上がっているから、農業をやってもいいよということもあると思います。
三芳町は一生懸命農業をしている地域です。各農家が一つの会社として良い農業をしています。
この地域の三富農業について、いろいろと耳にはしていましたが、改めて直接お話を伺い大変勉強になりました。特に、これだけ若い方々が就農されているのはとてもすばらしいことだと思います。本日はどうもありがとうございました。
有限会社ステンレスアート共栄は、昭和38年に、現社長の祖父が研磨業として創業しました。その後、現社長が独自の技術を習得し、事業の幅を板金加工などへ広げ大きく成長しています。
現在、板金加工、溶接、研磨を事業の柱とし、多品種少量から中程度の量の精密板金加工を得意とし、食品機器、医療機器など多岐にわたる製品を製造しています。近年、消滅型生ごみ処理機が注目を集め、台湾でも特許を取得しています。
開発段階から携わり、設計、解析、板金、組み立てまでをワンストップで提供。早くから3次元CADを導入して、設計から組み立てまでをスピーディーに対応できることが強みです。
令和2年、県及び県産業振興公社実施の「社会解決型オープンイノベーション支援事業」に採択され、地域の買い物困難者を支援する商品デリバリー用自立走行小型搬送車を開発し実証実験を実施しました。
知事は、会社概要について説明を受けた後、工場内を視察し、代表者や社員の方々と意見交換を行いました。
工場を見学し説明を受ける
内製化するための初期投資、人材確保、そしてデザイン・設計までおやりになって、すごいなと感じました。内製化するのにも順番がありますし、お客様からのニーズもあると思います。実現までの経緯を教えてください。
精密板金加工事業を立ち上げた当初は機械設備が全くなかったので、お客様からある程度作ったもの、半製品化してきたものをいただき、それを溶接して仕上げるというところから仕事を始めました。
その後、少しずつ精密板金加工の内製化を進め、ニーズや仕事量を考慮しながら、必要な設備を導入するようになりました。確かに設備投資には莫大なコストがかかりますが、それでも必ず利益を生み出すという強い気持ちで常に前に進んできました。
機械にしっかり投資して、内製化して、お客様の要望に一から応えてきて、そうした決断は大変なものでしたか。
もちろんです。下請け、孫請けでは利益が少ないのでアイデアをどんどん出していきます。どこが自分たちにとって利益が出るのか常に考えて機械を導入しています。
お金のためにやるのではなく、どうしたらお客様に受け入れてもらえるか、どういう風に心に残せるかを考え、一生懸命その人のために動いていればいつか還ってくると思っています。その結果が今ここにあると思っています。
アイデア勝負なのですね。
実務的なことは若いスタッフに任せていますが、アイデア出しは私も一緒になってやっています。アイデアを発想できるようにするのが一番大変です。決まったとおりにやるのではなく工夫してやることを心掛けています。
そういうキャッチボールができるのは会社が元気だからですね。そういうのが皆さんに伝播していくと元気な会社になります。
全ての設計を3次元CADで行っています。お客様には1つずつ計算した具体的なシミュレーションの結果をお伝えしています。そうすると設計者から技術チームや開発チームにつながっていきます。設計からスタートするのが最大の武器です。
そういうひとつひとつの積み重ねなのですね。本日はありがとうございました。
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